前回は「社会の入試問題の傾向〜上下水道への視線・極めて大事なインフラ・現代の下水と上水・身近な水と電気と食べ物・水と合戦と戦争〜」の話でした。
江戸から明治・大正・昭和・平成・令和の時代
江戸時代が終わり、明治・大正・昭和・平成・令和となりました。
この5つの時代は、それぞれ大きな違いがあります。
時代の傾向として考えるとき、「明治・大正」「昭和」「平成・令和」の3つに分かれます。
1868年の明治維新によって、大きく変わった江戸から明治へ。
約150年前のことでした。
「昭和」と「平成・令和」時代は大きな違いがあります。
最も大きな違いは、昭和の時代において第二次世界大戦が勃発し、日本が大惨事となったことです。
江戸時代と明治時代以降の大きな違いはなんでしょうか。
徳川幕府が
なくなったこと!
250年以上
続いた徳川幕府から、明治新政府に移行した。
徳川幕府から明治新政府へと変わり、「天皇中心の政治」へと大きく変わりました。
江戸時代と現代の違い:徳川将軍と現代の政権
それでは、具体的に現代社会と江戸時代の社会の違いは、それは何でしょうか。
インターネット・電気など「身の回りのモノ」の違いは非常に大きいです。
「文明の進化」は大事なことですが、ここでは、社会や「国家の姿」の違いを考えてみましょう。
現代社会と「江戸時代の社会」は全然異なります。
「徳川幕府から明治新政府」となったことによって、何が大きく変わったのか?
具体的に考えてみましょう。
江戸時代の社会・政治・生活と現代の社会・政治・生活で、大きく異なることは何でしょうか。
インターネット・テレビ・携帯電話・自動車・飛行機など科学技術等の進化・進展は除きます。
具体的な例を挙げて、書いて下さい。
「江戸時代と現代が全然違う」のは誰でも分かることです。
そして、身の回りの携帯・ネットなどの科学技術の進化・進展もまた、誰でも分かることです。
一方で、具体的に「社会・政治・生活での違い」は簡単そうで、簡単ではないかもしれません。
江戸時代と明治以降の政治体制の大きな違いも、しっかり理解しておきましょう。
「徳川から明治新政府へ」という流れは、現代の「政権交代」と何が異なるのでしょうか。
例えば、現代、自民党(自由民主党)が戦後長きにわたって政権を担い続けています。
日本の政党には他に、立憲民主党・国民民主党・日本維新の会など様々あります。
過去に、民主党が政権を担った時代があり、今後も政権交代が起こるかもしれません。
「政権交代」と「徳川幕府から明治新政府への違い」の具体的内容は、まとめておきましょう。
徳川幕府の
時代には選挙がなかった!
選挙が「ある」か「ない」は、極めて大きな違いです。
将軍を
決めていたのは、誰なのかしら?
現代の内閣総理大臣に相当するのが徳川将軍です。
ところが、実際に「将軍がどこまで政治に関与したか」は歴代将軍次第でした。
時代によっては「別の人間が内閣総理大臣」であり、将軍は「お飾り的存在」であった時代もあります。
考えようによっては、「老中が全てを取り仕切っていた」ので「老中が総理大臣格」でした。
それじゃ、
将軍は現代では、どの役割なの?
率先垂範して政治の指揮を執った将軍もいますが、実権は意外と小さく「合議制」が中心でした。
それでは、
江戸時代の天皇は?
江戸期の天皇の権限は「かなり限られていた」のが実態で、徳川幕府が政治の中心でした。
この「徳川中心の政治」が、グラグラと揺れたのが幕末でした。
幕末期の徳川将軍:時代の雰囲気をイメージ
「世襲制」であったと考えられる徳川将軍。
実際に徳川将軍になる人物は、徳川将軍本家・御三家・御三卿から選ばれました。
現代でも「御三家」という言葉が使われており、「御三家中学」の話を上記リンクでご紹介しています。
将軍は「世襲制」ですが、「選ばれる対象・将軍になりうる人物」は常に複数いました。
現代であれば、「選挙で候補者の中から選ぶ」であろう徳川将軍。
例えば、幕末の第十四代将軍を決定する過程では、熾烈な政治闘争がありました。
次期将軍は
誰がなるべきか?
「次期将軍は誰か?」をめぐって、大きく二つの派閥に分かれました。
私が非常職の
大老に就任した井伊直弼だ!
私が次期将軍を
決定する!
この結果、強引に力で第十四代将軍を決定したのが大老 井伊直弼でした。
非常職であった「大老」は「いない次期」があり、「事実上の総理大臣」とも言われます。
「大老が総理大臣」なら、「将軍の役割は一体何なのか?」ということにもなります。
このあたりは非常に曖昧で、ある意味「日本らしい曖昧さ」であります。
政治力が限定されていたとはいえ、天皇もずっと在位していました。
天皇・徳川将軍・大老(中老)、これらの方々の「具体的権限」は曖昧な面があります。
別々の国であった「各藩」の王様・藩主もまた、基本的に世襲でした。
例えば、「極めて優れた人物」であった西郷隆盛や大久保利通。
西郷や大久保が、江戸時代の薩摩藩の藩主となる可能性は、完全に0%でした。
先ほどの「天皇・徳川将軍・大老の立場の曖昧さ」とは完全に別で、こちらは「曖昧さ」はありません。
「絶対にない」ことだったのでした。
おいどんは、
藩主には絶対なれないごわす・・・
私は、久光様より
優れていると思うのだが・・・
現代であれば、西郷や大久保のような人物が「国家元首となる」可能性は十分あります。
それは、現代日本では「選挙制度」が整っているからです。
明治新政府となり、1889年に「衆議院議員選挙法」が公布されました。
大日本帝国憲法公布と同時です。
この時点では、「平等な選挙」ではなく、まだまだ世襲制を色濃く残していたのでした。
「選挙制度」に関して学ぶ際、「制度の変遷」だけだと、つまらなく感じます。
このように、
実際、
どんな感じなのだろう?
時代背景や、その当時の様子をイメージしながら学んでみましょう。
江戸時代って
こんな感じかな・・・
すると、歴史も地理も楽しくなり、学力が上がるでしょう。
次回は上記リンクです。