前回は「ウクライナ戦争と日露戦争〜ウクライナとロシアの位置・日露戦争・日本とロシアが戦った場所・SDGと世界〜」の話でした。
ウクライナ戦争と日露戦争に関する問題
時事問題は内容も大事ですが、まずは「関連する国の場所」等はしっかり理解して覚えておきましょう。
(ア)-中国(中華人民共和国)
(イ)-モンゴル
(ウ)-ロシア(ロシア連邦)
(エ)-カザフスタン
(オ)-ウクライナ
(カ)-ベラルーシ
(キ)-フィンランド
(ク)-米国(アメリカ合衆国)
(ケ)-英国(イギリス)
(コ)-フランス
世界の国々:ロシアと極東・日本
まず世界地図のことを考えてみましょう。
日本人にとって、馴染み深い上の世界地図。
ヨーロッパの方々にとっては、上が「世界地図」となります。
この地図では、日本が東の端っこの方にあります。
そこで、ヨーロッパから見て日本周辺は、北極・南極と同じように「東極」に位置し、極東と呼ばれます。
日本人から見ると
なんで
極東なの?
と、思ってしまいますが、世界の歴史・世界秩序では「このような見方」になります。
問題の世界地図でも、上の「ヨーロッパ中心の世界地図」でも一際大きい、世界で最も広い国があります。
それがロシアです。
米国(アメリカ)や中国は十分に大きいですが、ロシアは米国の1.7倍ほどの広大な面積を有します。
そして、ロシアの面積は、日本の面積の何倍くらいでしょうか?
20倍は
ありそうだね。
もう少し大きそう。
30倍くらい?
ロシアの面積は、日本の面積の45倍ほどです。
大きいね!
とにかく広い国がロシアです。
答えは、ロシアー(ウ)です。
ウクライナとNATO北大西洋条約機構
ウクライナに侵攻したロシア。
「侵攻した」ということは、ウクライナはロシアの隣の国です。
隣でない国に侵攻するのは、とても大変なことです。
ロシアは広大な国なので、「陸で国境を接する国」だけで14ほどあります。
上の地図では、ア、イ、エ、オ、カ、キの6つの国がロシアの隣です。
この中で、(ア)-中国(中華人民共和国)はご存知でしょう。
そして、(イ)-モンゴルです。
ここまでは、
分かったよ。
プーチン大統領は「西の国々がNATOに加盟するのがロシアにとって大いなる脅威」と言っています。
上の地図を見ると、確かにロシアから見ると「西からドーっとNATO加盟国が増えている」のが分かります。
そこで、ウクライナは(オ)か(カ)です。
ここからは、知っていないと出来ないのですが、ウクライナ-(オ)です。
(カ)-ベラルーシは「親ロシア」の国です。
中学受験では、ベラルーシは出ない可能性が高いですが、ウクライナの位置はしっかり知っておきましょう。
他の国々は、エ-カザフスタン、キ-フィンランド、ク-米国(アメリカ合衆国)、ケ-英国(イギリス)、コ-フランスです。
ロシア、ウクライナ、米国、英国、フランス等の位置はしっかり覚えておきましょう。
日露戦争の戦場と日本陸軍の戦い
日露戦争の主戦場の位置を問う問題は、かなり難易度が高いです。
江戸時代末期から、さまざまな接触があった日露関係。
明治中期には、「日本の10倍の国力」と言われたロシアと戦争に至ります。
そして、辛くも陸での戦いで勝利する事ができた日本。
ロシアは当時「世界最強」とも言われた海軍を擁していました。
日本海軍の連合艦隊は、戦争開始時点から全艦隊がフル稼働でした。
対して、ロシア海軍は「日本海軍に押されていた」ものの、モスクワ付近に「とっておきの大艦隊」がいたのです。
バルチック艦隊です。
日露戦争の最終決戦「日露大海戦」に向けて、ロシア本国からバルチック艦隊が出動しました。
日本海海戦は、ロシアのバルチック艦隊が「極東地域:ウラジオストクから出動」と考えられがちです。
実際は、上の地図のように「ほぼ世界一周」して日本に攻め込んできた事実は知っておいて下さい。
「日本海海戦」では、欧米先進諸国が驚愕するほどの大勝利を納めた日本。
当時、世界最強国の一つであったロシアに、「大方の予想を裏切って」最終的に勝利することが出来ました。
この勝利は日本にとって大事なことでしたが、後に日本が軍国主義に走る「大きな要因の一つ」となりました。
大勝利した「日本海海戦」のことばかり、語られがちな日露戦争。
陸海軍で死闘を続けましたが、実は「主戦場」は陸での戦いでした。
兵力・武器装備のいずれも日本の上のロシアに対して、日本陸軍は、極めて慎重に戦略的・戦術的に巧みに戦います。
「日本陸軍の宝」とまで言われた児玉総参謀長が、前線で総指揮を執ります。
ロシアが日本より、はるかに強大なのは
認める。
しかし、日本が勝つ可能性が、
僅かながら、ある!
私が総指揮を執ることが
大前提だ!
能力があり、自ら大変な自信もあった児玉源太郎。
何度か、日露両軍は陸で大きな戦いをしました。
こういう問題が出た時は、「当時の流れ・状況を考える」そして「論理的に選択肢を絞ってゆく」ようにしましょう。。
日本とロシアの国の位置関係から、上の図の赤線のような「互いに攻め込む」ルートが考えられます。
ここで、まずロシア極東の端の「Dはない」と選択肢から外れます。
「北海道より北」がほとんどのロシア。
「とても寒い」ので、戦うのは「非常に大変」なのです。
また、「Dの地域で戦うには、日本陸軍をDに運ぶ」必要がありますが、それは日本にとっても極めて困難です。
ついで、「北海道のC」は、ここまでロシアに攻め込まれていたら「大事」で「勝利ではない」です。
そこで、北海道の「Cはない」となります。
残るは、AとBですが、難しい問題です。
これも、「北海道のC」と同様に、ここまでロシアの内部まで日本が攻め込んだ状況には、とてもならないです。
そこで、ロシア国境内部の「Aはない」となります。
ありえない3つが消去され、「答えはB」となります。
・B
・日露戦争は日露両国の間に位置する中国北東部・朝鮮半島が戦場になった
次回は下記リンクです。