前回は「受験と時事問題〜何を知っておくべきか・開戦前のロシアとウクライナの戦力・ウクライナとロシアの国力・ウクライナ戦争の行方・西側諸国の強力な支援〜」の話でした。
薩摩同一町内出身の威人たち
直前期から試験当日までは、大変な緊張感を持って過ごす中学受験生の人達。
いよいよ
入学試験本番だ・・・
とても
緊張する・・・
緊張の中、受験生の方々は、健康第一で当日まで体調を整えてください。
高校受験〜大学受験の方も、最後の追い込みの学習と健康管理をしましょう。
今日は、主に中学受験の方向けに「直前期にに少し考えてみる」話です。
ちょっとした知識で総まとめを行い、記述対策にもなるでしょう。
冒頭の写真をご覧ください。
これは
全員分かるよ!
みなさん、幕末〜明治の時代の有名な方々です。
下記の問題を考えてみましょう。
1.上の写真の方々の名前を、全員答えて下さい。
2.この4名から、好きな一人を選び、歴史的背景と共にあなたの意見を述べて下さい。
3.この4人は、江戸時代における同一藩の出身者です。その藩の名前を答えて下さい。
4.この4人は、江戸時代〜現代の同じ藩・県の同一町内出身です。
なぜ狭い町内からこの4名が登場したのかを、歴史的背景などを踏まえてあなたの意見を述べて下さい。
みんな同じ薩摩藩(鹿児島藩)
出身なのは知っていたけど・・・
みんな同じ
町内って、びっくりだね・・・
ほんの3~5分で良いので、考えてみましょう。
1~3の答えは下記です。
1.左上から時計回りに西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎
:大山巌の巌(いわお)は、漢字でなくても良い
2.これは多くの方が西郷を選ぶと思いますが、自分なりに書いてみましょう。
3.薩摩藩(鹿児島藩)
:中学受験では薩摩は「さつま」で良く、高校受験以降は漢字が望ましいです
1~2は比較易しく、3も多くの方がご存じだったと思います。
では、4に行きましょう。
これらの幕末〜明治の有名人たちが同じ薩摩藩であること以上に「同一町内」出身なのです。
その町の名前は、旧薩摩藩からしばらくの間は「下加治屋町」と言われます。
現在は「加治屋町(かじやちょう)」と言われます。
みんな、加治屋町
という町出身なんだね!
自分の考えをハッキリ書く:幕末から明治の薩摩出身の将星たち
狭い町である下加治屋町の
出身者たちが・・・
「倒幕から日露戦争まで、
主役を務めた」と言っても過言ではない。
作家・司馬遼太郎は、上記のようなことを繰り返し話しています。
とても貧しい家庭出身だった西郷隆盛(吉之助)と大久保利通(一蔵)。
おいどんの家は
子沢山で貧しかったごわす・・・
小さい頃から、
吉之助さぁとずっと一緒だった・・・
「とても貧しい」という印象からは、「薩摩藩の中心から大きく外れた町出身」と感じます。
現在の加治屋町(かつての下加治屋町)は、鹿児島の中心である鹿児島中心駅からすぐ近くです。
歴代藩主がいた鶴丸城よりも「中心地に近い」場所に、現在の加治屋町は存在します。
それは、西郷たちの影響によるのかも知れません。
鶴丸城と加治屋町(下加治屋町)はそれほど離れていません。
上記4名以外に、村田新八・黒木為禎なども下加治屋町出身者です。
東郷・大山の二人は、
おいどんが連合艦隊司令長官で、
バルチック艦隊を撃滅したごわす・・・
おいどんが満州軍総司令官で、
陸でロシアを叩いたごわす・・・
日露戦争では「東郷が海軍・連合艦隊司令長官、大山が陸軍・満州軍総司令官」でした。
「倒幕の主力だった薩摩藩」の小さな町出身者が、
西郷先生には、
小さい頃から可愛がってもらいました・・・
日露戦争においても「陸海の頂点」に立っていたのです。
これは、なぜでしょうか。
一つには、郷中教育による「強い結びつき」があります。
後に西南戦争で「政府軍に反乱を起こした」西郷ですが、西郷の影響力は西南戦争後も絶大でした。
これらの4名が同一の「加治屋町内出身」である理由は、いくつか考えられます。
a.新政府において、明治維新の中心勢力である薩摩藩の力が非常に強かったから。
b.維新を成し遂げた西郷隆盛と大久保利通は幼馴染であり、郷中教育などにより4人の連帯感が非常に強かったから。
c.若き頃の西郷隆盛と共に過ごした経験のある大山巌・東郷平八郎に対して、畏敬の念があったから。
d.新政府において強い立場であった薩摩出身の軍人の多くが、西南戦争で亡くなったから。
e.伊藤博文・井上馨ら政治の中心となった長州に対して、軍事面で薩長のバランスを取る必要があったから。
f.幕末期から大山巌・東郷平八郎の優れた軍人としての才能が際立っていたから。
g.同じ郷里・郷党出身なので、お互いに引き立て合う面があったから。
上記のような理由が考えられ、他にもあるでしょう。
gは「縁故主義」とも言えるかもしれません。
この時代良かったことは「縁故で引き立てられる人物が優れていたこと」です。
こういう問題が出題されたときは、
こういうことも
考えられるかな?
自分が「正しいかな」と思うことを、書いてみましょう。
でも、合っている
のかな・・・
こういう「歴史的事実の背景」に「100%確実な理由」は少なく、大抵の場合は「諸説あり」となります。
記述試験が出題される学校受験者は、「思ったことをハッキリ書く」ようにしましょう。
書いていないと採点者には、伝わらないのです。
「自信がないから」と白紙、あるいは「ほとんど書かない」では、
何か書いてあれば、
点のつけようがあるのだけど・・・
採点者は「点のつけよう」がないのです。
何も答案に書いてないなら、
0点・・・
ちょっとこれは
分からないかも・・・
「分からないかも」ということが理科・社会などであった場合も、
こういうこと
かな・・・
「自分の分かる範囲で、正しそうなこと」を書いてみましょう。
これは
後回しかな・・・
「後回し」でも良いですが、出来るだけ考えて早めに答えましょう。
大学受験のように試験時間が長いなら良いですが、中学受験の短い試験時間では難しい面があります。
「後回しにして戻る」時間が「ない」可能性の方が高いでしょう。
直前期は「試験への超前向きな姿勢」を確立して、当日に臨みましょう。
次回は下記リンクです。