前回は「男子御三家の肖像・麻布中学〜麻布と開成と武蔵・戦前から戦後の男子御三家・卒業生の誇りとライバル意識・総理大臣・橋本龍太郎〜」の話でした。
高度成長期からバブル景気後の混乱する日本
戦後、焦土と化した日本は米国に一時期占領され、1952年に独立しました。
その少し前の1950年に始まった「日経平均株価」という指標。
最初の「日経平均株価」は、176円でした。
当時と現在では物価が全く異なりますが、2023年に日経平均は31,500円ほどです。
すると、31,500/176=179で「日経平均は70年余りで180倍近くになった」計算になります。
さらに、バブル景気を迎えた際に、日経平均株価は1989年に一時約39,000円をつけました。
これは、39,000/176=221で「日経平均は40年ほどで220倍近くになった」計算になります。
この異常な急成長を果たした高度成長期からバブル景気を経た日本。
そして、バブルが弾けて、日本は大混乱となり、日本の政界は大混乱に陥りました。
麻布の底力:多士済々の政治家たち
一度下野して、再び政権を握った「ニューリーダー」代表格の橋本龍太郎 総理大臣。
宮沢首相と比べると、顔立ちは大きく異なり「麻布らしさ」を感じます。
武蔵卒では、なかなかこういう顔つきにはならなそうです。
政治家としての能力は、様々な意見がありますが「リーダーらしい顔立ち」だったように思います。
バブル崩壊後に苦しんでいた日本経済の舵取り役として、米国などと交渉していた姿は印象的でした。
武蔵と麻布が、
総理を出したな。
開成は、
まだだね。
こんな声もありました。
これは「こういう声もあった」のであり、三校の優劣を比較をしているのではありません。
順序は政治的・歴史的背景が強く、個人的能力とは別次元の点があるでしょう。
この後、麻布出身の有力政治家が非常に多かった時期があります。
これだけ多士済々の優れた政治家を輩出するところが、「麻布の底力」でしょう。
個人的には、はっきりモノを申す「男らしいリーダーシップ」のあった中川昭一 元財務相は好きでした。
橋本元首相の後には、麻布卒の福田康夫元首相が総理となります。
また、麻布だね。
開成は、
いつになるのかな?
こんな声も聞かれた中、自民党は再び下野しました。
5年ほどの間、旧民主党が政権を握り、自民党が政権を奪還します。
満を持して開成卒の首相誕生:岸田首相
そして、安倍元首相・菅前首相の後に登場したのが、開成出身の岸田文雄 総理大臣でした。
ついに御三家トップ格の開成から、満を持して首相を出しました。
ちょうど100代目の総理大臣を輩出した開成中・高。
ついに、
開成から総理だ!
これで
出揃ったね。
初めて御三家から総理を出した1992年から、30年近く経過しました。
学校名 | 設立年 |
開成 | 1871年 |
麻布 | 1895年 |
武蔵 | 1922年(前身) |
そして、なんといっても「最も歴史あり、大学進学実績も高い」開成。
あなたどこの大学卒?
東大?
と学歴を異常に意識した「ハト派の傲岸な政治家」であった東大卒・宮澤首相。
まあ、俺は
自分にかなりの自信がある!
とでも言いたげな「常に少し態度が大きめ」であった慶応卒・橋本首相。
これら二人に比べると、
私は「影の外務大臣」などと
言われ、隠然たる影響力を持ち続けてきた・・・
という「幾分穏やかな感じ」の早稲田卒・福田首相。
そして、とうとう開成卒の首相となった岸田首相は、
私は真面目ですから、
しっかり政治を進めてゆきます!
と真面目さが売りの早稲田卒・岸田首相。
男子御三家から四名の内閣総理大臣を輩出し、麻布のみが二名輩出しました。
間もなく戦後80年となる節目の頃に首相となった岸田首相への期待は大きいものでした。
これからの日本の「御三家」とは:江戸から令和へ
岸田首相が誕生し、一部では
これで男子御三家の首相が
出揃ったね。
という声もありましたが、宮澤首相誕生から40年ほど経過していました。
その間、大きく異なる状況となりました。
武蔵は大学進学実績を大きく落とし、
もはや
武蔵は御三家ではない・・・
と言われる状況が、10年以上続きました。
そのため、
出揃ったとは
言え・・・
という状況になりました。
男子御三家から、総理輩出に関する話でした。
他の様々な学校からも、総理・大臣等を輩出しているでしょう。
他の先進国と比較して、極めて世襲が多い日本の政界。
選挙を経ているので「世襲ではない」とも言えますが、上の四名全員「なんらかの世襲議員」です。
その為、「総理輩出」をもって話をすることが「適切かどうか」は、様々な考えがあるかと思います。
「徳川御三家」という、江戸時代に由来する「御三家」という言葉。
現代は「元号で時代区分」しますが、江戸時代は元号によらず一貫して「江戸時代」と呼びます。
江戸時代は頻繁に元号が変わった時代で、幕末だけでも
元号 | 時期 |
安政 | 1854年11月〜1860年3月 |
万延 | 1860年3月〜1861年2月 |
文久 | 1861年2月〜1864年2月 |
元治 | 1864年2月〜1865年4月 |
慶応 | 1865年4月〜1868年9月 |
「安政の大獄」の安政以降に5つの元号があります。
短い元号は、1年ほどで変わった時期もありました。
この違いがありますが、江戸・明治・大正・昭和・平成・令和と時代が大きく変わった現在。
この「御三家」という言葉が今後も存続するならば、どの学校が適切か。
それは、新たな時代に合わせて変化しても良いように思います。