男子御三家の肖像・武蔵中学〜武蔵と麻布と開成・男子御三家の基準・卒業生の質とレベル・総理大臣・宮澤喜一〜|中学受験

前回は「御三家の歴史 2〜名門校の風格・御三家の変遷・戦前から戦後・御三家新入り・開成・麻布・武蔵・進学実績・御三家の行方〜」の話でした。

目次

御三家と武蔵:新入りの武蔵

武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

戦前の「一高(東大教養学部)合格者数」を基準にした御三家は、開成・麻布・芝でした。

戦前の「男子御三家」

私立御三家:開成・麻布・芝

そして、戦後、学校制度の大きな変更があり、日本が高度成長する中、芝の代わりに武蔵が御三家入りしました。

戦後の「男子御三家」

私立御三家:開成・麻布・武蔵

1945年の敗戦から20年ほどの間は、「子どもの教育」に頭が回る家庭は少なかったでしょう。

まだまだ日本は貧しく、戦時中に「強国」だった日本は、一度は大きく転落しました。

大日本帝国の進出(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

一時は、「アジアを制圧した」と言っても過言ではないほどの広大な領土を有した大日本帝国。

左上から時計回りに、東條英機 総理大臣兼陸軍大臣、Douglas MacArthur極東米陸軍司令官、Chester Nimitz新米太平洋艦隊司令長官、山本五十六 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

その後は、米軍に対して必死の抵抗を試みるも、ジリジリと押され続けて敗戦を迎えました。

その「敗戦時点」においても、現代日本よりもはるかに広大な領土を支配した大日本帝国。

戦後20年ほどの間の混乱は、現代では考えられないほど大きなものだったでしょう。

1970年の大阪万博(Wikipedia)

そして、1964年東京オリンピック、1970年大阪万博を迎え、日本人に光が見えてきます。

このまま、一生懸命頑張れば、
生活が向上してゆく!

毎年お父さんの給与も上がり続けるから、
生活が楽になりそう!

急速な発展を迎える日本において、御三家は開成・麻布は鉄板のまま、

どうも、武蔵は非常に自由な
校風らしい・・・

それで、あれだけ東大に入っているんだから、
きっと「とても良い」教育なんでしょうね!

国家が急成長する中、国家国民は楽観的になり、精神も解放されました。

一時は「敗戦国」であり、肩身の狭い思いをした大勢の日本人たち。

なんだか、
Japanは最近すごいぞ!

Japan as No.1(エズラ・ボーゲル著 CCCメディアハウス)

海外からも賞賛が続くなか、戦前は「自由でなかった」日本が西側自由主義圏で確固たる地位を築きます。

そして、

自由って、とても
良いと思う!

武蔵は非常に
良い学校だ!

と武蔵中高の「自由すぎる校風」が、日本の戦後の時代にピッタリフィットしました。

武蔵と開成・麻布

武蔵中学・高校内のすすぎ川(新教育紀行)
学校名設立年
開成1871年
麻布1895年
武蔵1922年(前身)
戦前「私立御三家」設立年

そして、遅ればせながら「御三家入り」を果たした武蔵。

武蔵中学・高校です。
皆さん、よろしくお願いします。

大先輩の開成・麻布に対して、少し遅れて設立された武蔵。

ああ、武蔵さん。
一緒に御三家盛り上げましょう!

こんな感じで、開成・麻布・武蔵の御三家体制もまた確固たる地位を占めました。

「定義・基準が曖昧」ながら、特に中学受験界に浸透している「御三家」という言葉。

現在の「御三家」が「1960年代末に浸透した」ならば、半世紀過ぎました。

1960年代後半に浸透し、その後30年ほど経過した1990年代後半には、大きな変化が起きました。

武蔵高校の「東大進学者数激減」です。

「激減は一時的」かと思いきや、「激減したまま」低空飛行を続ける武蔵。

その中、2000年代に入ると、

武蔵は、
もはや御三家ではない。

と言われるようになりました。

「もはや御三家ではない」ならば、まだ良いですが、中には

武蔵は、
もう終わりだな。

なんて声も聞こえてきました。

武蔵卒の立場からすれば、「終わり」など「余計なお世話」なのですが、そういう雰囲気はあったのでした。

武蔵が異常な不振を続ける中、堅調な状況が続く麻布・開成。

戦前から「御三家であり続けている」学校である「力の源泉」は、こういうところにあるのでしょう。

男子御三家の基準

武蔵中学・高校のヤギたち(新教育紀行)

昭和・平成・令和となった今、変わっても良いように感じます。

「変わる」ならば、真っ先に消される立場の武蔵中学・高校。

その武蔵の卒業生の僕は、武蔵に対しては特別な思いがあります。

別に「御三家」と、
呼んでもらわなくて良い。

というスタンスが、かつての武蔵にはありました。

それは、堅調な大学進学実績に支えられていたのです。

東大などの大学への大学進学実績が急落した今、

そんなことは、
言っていられない・・・

本当に御三家から
「正式に」外されるかも・・・

が現実です。

武蔵中学・高校のかつての校舎(新教育紀行)

「中学・高校の良さ」に「大学進学実績」が、どの程度関係するかは、様々な意見があります。

僕は、中高の教育は「大学受験突破のプロセスではない」と考えますが、「大学受験と無関係」でもないです。

現実的な問題として、もし「御三家のグループ」から武蔵が「公式に外された」とき。

その時、武蔵中・高の「学校としての格」は、大きくダウンするでしょう。

「格が大きくダウン」するのは、企業の株価と同様に、学校の名声に大きく関わります。

卒業生として、その事態となることは「残念」です。

一方で「基準が大学(東大)進学実績」ならば、致し方ないでしょう。

どこかの認定期間が決めるわけではなく「なんとなく」決まっている御三家。

「変わる」としても「誰が、どのように変えるのか」が問題にはなります。

中学受験業界の塾・メディアなどが、「一斉に足並みを揃えて」変えるのか。

あるいは「他の手段」もあるでしょうが、それが「適切なのかどうか」など様々議論はありそうです。

武蔵中高と卒業生の質・レベル

武蔵中学・高校の校舎(新教育紀行)

「中高の良さ」を考える時、最も大事なのは、校風・教育理念・雰囲気でしょう。

各中学校・高校の三大要素

・校風、カラー、雰囲気

・教育理念

・歴史の深み

そして、それに付随する情報の一つとして、大学進学実績・偏差値があると考えます。

そして、「卒業生の質・レベル」も大きく影響します。

この「卒業生の質」においては、かつて武蔵は、非常に高い自負がありました。

もちろん、今でも

我が武蔵中高生は、多数の
優れた人物を輩出し続けている!

という自負を武蔵中高及び、教員などの関係者は持っているでしょう。

第78代総理大臣 宮澤 喜一(Wikipedia)

実は、男子御三家で最初に総理大臣を輩出したのは、武蔵です。

宮沢喜一氏が首相に就任した時、僕は武蔵に通っていました。

その時は、

御三家で、
武蔵が最初に総理になった!

と盛り上がっていました。

総理大臣といえば、国家元首で「日本国の代表」です。

中学生・高校生にとって、総理・国家元首は「ピンと来ない」のですが、

まあ、なんとなく
嬉しい・・・

のは、当時の武蔵生・卒業生、関係者一同が持った「素直な気持ち」でした。

これは、御三家に関わる方以外にとっては、「どうでも良いこと」かも知れません。

まだ日本の景気が良く、日本全体が元気だった当時、御三家内では強いライバル意識がありました。

「一つのグループ」に、まとめられているからこその「対抗意識」。

武蔵から総理大臣を
出したぞ!

まあ、麻布・開成は総理大臣
出してないけどさ・・・

それって、なんか
重要なの?

まあ、
ちょっと嬉しいかな・・・

「強いライバル意識」があるものの、決して「仲が悪い」わけではなかった御三家の学校。

そうはいっても、

開成・麻布に
負けたくない!

という気持ちは、なんとなくありました。

こういう対抗意識は、健全な青少年ならば持つべきもので、そういう気持ちは大事と思います。

次回は、御三家で次に首相となった方の話です。

次回は下記リンクです。

新教育紀行

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