前回は「山口多聞の大いなる不安〜空襲されたTokyoとミッドウェー作戦認可・Tokyo空襲へ・ニミッツの狙い・思い切った作戦:ドゥーリットル中佐の日本横断作戦〜」の話でした。
日本と太平洋:広大な日本の最大進出地域
当時の日本の進出地域を、考えてみましょう。
上の地図は、第二次世界大戦(大東亜戦争)における「日本の最大進出地域」を示しています。
ちょうどMidway島への攻撃が検討されていた頃に、日本の進出圏は最大となります。
陸地のピンク部分は、日本軍が進出した地域・実効支配した地域です。
のちに「日独が米英に敗北した」歴史を知っている私たち日本人。
ところが、当時の視点では、日本および日本軍の勢いは絶大でした。
そして、枢軸国のドイツと共に「世界を席巻していた」ともいえます。
日本って、
こんなに広い場所を支配したの?
今では
信じられない・・・
太平洋って
広いね・・・
太平洋は世界で最も大きい海で、面積はおよそ1.66億km2。
日本列島がおよそ440個入る、「非常に広大な面積」です。
当時、米国は英国と共に対独戦を大西洋で戦っていましたが、大西洋の面積は、およそ0.86億km2。
太平洋の面積は、大西洋の面積の約2倍なのです。
こんなに広い地域で
戦っていたのね・・・
この広い世界で、日本の陸海軍は展開して戦い続けました。
ミッドウェー島:太平洋の「道半ば」の非常に小さな島
山本司令長官が強行した「Midway(ミッドウェー)島攻撃作戦」。
ミッドウェー島は、上の地図で、ハワイの少し日本より(北西)にあります。
すごい
遠いね・・・
ここまで、行くだけでも
大変そう・・・
Midway島の名前をつけた米国から見れば、Midway島は太平洋の「道半ば」の地にあります。
日本から見れば「道半ば」の地・Midway島を制圧することは、米国に痛撃を与えることが出来ます。
ハワイ奇襲攻撃に
成功したのだ!
ミッドウェーは、
ハワイより近い!
ミッドウェーを攻撃して、
防衛に出てきた米空母を叩くのだ!
ミッドウェー島は、とても小さな島でした。
島というより環礁に近い規模です。
この小さな島に米軍は飛行場を建設して、海軍の主要基地としていました。
山口多聞の大いなる懸念:海軍内部の反論を押し通した山本長官
作戦を指揮する軍令部から、猛烈な反対を受けていた「ミッドウェー作戦」。
実は、攻撃を実施する最前線の海軍内においても、反論が多数出ていました。
ミッドウェーは
遠すぎる・・・
ミッドウェーを占領したところで、
補給が続かないだろう・・・
この作戦は
無謀すぎる!
「ミッドウェー作戦は下策」という意見に山口司令官も同感でした。
我が機動部隊は、真珠湾以来、
大いに動き回っている・・・
インド洋も攻撃したし、
航行距離は、地球二回りくらいした・・・
みんな
とても疲れている・・・
ミッドウェーは、占領しても
ハワイから反撃されるのでは・・・
いや、
このタイミングで良いのだ!
とにかく、米空母を
叩き潰す!
慎重な山口司令官に対して、異常にそして異様にミッドウェー作戦を推進していた山本長官。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
32 | 嶋田 繁太郎 | 海軍大臣 |
39 | 伊藤 整一 | 軍令部次長 |
40 | 山口 多聞 | 第二航空戦隊司令官 |
山口多聞の8期上の大先輩であり、日本海軍の顔であり軍神となった山本。
もはや、日本海軍で「山本長官を止められる人物」はいませんでした。
山本長官は
どうかなされたのだろうか・・・
大いなる懸念を抱く山口司令官でした。
次回は上記リンクです。