前回は「大きな懸念を持つ山口司令官〜先輩後輩の関係と意思決定・異常に逸る山本長官・日米の格の違いを最も認識していた男・海軍兵学校の先輩と後輩の影響〜」の話でした。
ミッドウェー作戦を強行する山本五十六連合艦隊長官:「勝てない米国」に勝つ信念
とにかく、ミッドウェー島攻略を
承認していただきたい!
山本長官には、とても強い信念がありました。
Hello!
Japanの皆さん!
我がUnited States(米国)と
条約を結びましょう!
この時1942年であり、米提督ペリーが浦賀に来た1853年から89年の時間が経過していました。
そして、翌1854年にペリーは軍艦を9隻に増加させて再び江戸湾にやってきて、
条約結ばないなら、
Edoを砲撃しますよ!
徳川幕府を恫喝して、日米和親条約が締結されました。
ペリーが来たときは幕末であり、日本と米国には巨大な差がありました。
この頃、軍艦を多数持っていた米国に対して、軍艦を少し持っているものの「全て外国産」だった日本。
日米の間には、「隔絶たる差」がありました。
その後、明治維新以降猛烈な勢いで国家が発展した日本。
勢い込んで軍国主義の道を爆走してきた大日本帝国でした。
ところが、「資源が唸るほどあった」米国に対して、「資源がほとんどなかった」大日本帝国。
そのため、大日本帝国は「米国とは格が違う」存在でした。
今、米国を
完膚なきまで叩き潰し・・・
なんとか、日本が有利な形で
講和に持ってゆくのだ!
それは
出来ません!
山本長官、山口司令官同様に、「優等生肌」の伊藤次長。
山本長官の意見も
分からぬではないが・・・
ここで折れては日本海軍の
基本戦略が狂ってしまう・・・
山本長官ならぬ山本先輩に、必死で抵抗します。
伊藤次長、というか、
伊藤くんが妙に頑固だ。
山本長官・伊藤次長、双方が全く折れません。
米海軍兵学校と米海軍:長官は純政治家の米国
実は、米海軍も似たような状況もありました。
海軍士官のほぼ全員が、アナポリス海軍兵学校を出ています。
新たに米太平洋艦隊司令長官となったニミッツ。
兼ねてから優秀なニミッツは、以前に一度すでに米太平洋艦隊司令長官就任を打診されています。
ここで、先輩を気遣ったニミッツ。
まだ
若輩者ゆえ・・・
一度断り、アナポリス先輩のキンメルが太平洋艦隊司令長官となりました。
真珠湾奇襲攻撃の責任を取らされ、キンメルは更迭されます。
同じ兵学校卒業生が多かった米海軍ですが、日本と異なり「ほぼ全員が卒業生」ではありませんでした。
例えば、当時のノックス海軍長官(大臣)。
ノックス海軍長官は、大学卒業後に米西戦争に従軍し、新聞記者となります。
その後、新聞社を所有する実業家を経て、海軍長官となります。
あるいは、ヘンリー・スティムソン陸軍長官。
イエール・ハーバード卒のヘンリー・スティムソン陸軍長官は、弁護士出身です。
スティムソンに関しては、上記リンクで原爆に関する話をご紹介しています。
この「最高意思決定者である大臣は、同じ兵学校卒業でない」ところが、米国らしいところです。
日本海軍の大きな弱点:軍令承行令という年功序列人事
日本海軍は、ほぼ全員が「海軍兵学校出身」です。
さらに、「年功序列」が明文化された組織でした。
海軍兵学校の成績という「学校の成績」を、その後の人事において最重視するのが日本だったのです。
対して、米海軍は日本海軍に比べて、非常に柔軟に人事を決定していました。
米国では「学校の成績は良いに越したことがないが、大事なのは実務能力」という「当然の姿勢」でした。
成績が良いことは、
努力した証でもあるが・・・
学校の成績が最優先されるのは、
おかしいのではないか・・・
そして、人事・作戦に「先輩・後輩」が
影響しすぎるのも、おかしい・・・
何から何まで、
大問題だ!
山口司令官は「日本海軍(陸軍)の弱点」を、はっきり理解していたのでした。
この「成績が良いからなんだ?」を、「成績が大して良くない人」が言うと「ひがみ」になります。
ところが、海軍兵学校を次席卒業した山口ならば、
成績が良いのは、良いといえば
良いのだが・・・
軍人としての能力とは
どこまで直接関係があると言うのだ・・・
成績優秀者の山口は、「ハンモックナンバー重視の弊害」を感じていたでしょう。
この「成績超重視」だった日本海軍は人事面で大いに硬直化しており、米海軍に劣っていたのでした。
次回は上記リンクです。