運命の分かれ道に出会った後藤新平少年〜官軍と賊軍・奥羽列藩同盟盟主となった仙台藩・一大国家となった東北地〜|後藤新平7・少年時代・性格

前回は「徳川幕府の終焉と新しい時代〜突然崩壊した封建制度・大村益次郎の登場・新政府軍と彰義隊の死闘〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
目次

奥羽列藩同盟盟主となった仙台藩

新教育紀行
明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

すでに南の薩摩藩・西の長州藩が京都を押さえて、官軍は、どんどん関東地方へ向かってきました。

どんどん官軍に従う中、奥州が空白地となります。

そして、幕末のうねりの中に仙台藩は引き摺り込まれてゆきます。

会津藩が、強烈な個性を放っていた奥州の地。

新政府軍、
何するものぞ!

と大同団結します。

そして、

みんなで
新政府軍と戦おう!

同盟が結ばれ、奥羽列藩同盟が成立します。

そして、盟主となったのは、会津藩・・・と思いきや、仙台藩だったのです。

仙台・伊達藩に
盟主になってもらおう!

そうだ!
伊達しかいない!

これは、伊達政宗以来の知名度・パワーを見込まれて、周囲から懇願されたのでしょう。

戦国大名 伊達政宗(Wikipedia)

そして、仙台藩は官軍と戦い、頑強に抵抗します。

奥州各地で官軍と戦い、善戦するも官軍の持つ近代兵器に悩まされます。

一大国家となった東北地

奥羽列藩同盟:設立時(歴史道vpl.15 朝日新聞出版)

それまで、それほど親しい間柄ではなかった奥羽の諸藩。

みんなで
力合わせて頑張るぞ!

一緒に
新政府軍とかいう奴らと戦うぞ!

「新政府軍」という「共通の敵」ができたことで、一気に連帯します。

東北・越後の31藩が一気に同盟を結ぶという画期的同盟だった、奥羽列藩同盟。

上の図で右側を見ると、「東北地方が一つの国」になったかのようです。

戦争は
嫌だが・・・

みんなで
一緒に戦うのだ!

運命の分かれ道に出会った後藤新平少年:官軍と賊軍

鳥羽・伏見の戦い

みんな
一緒だ!

と意気揚々と大同団結した奥羽列藩同盟。

ところが、新政府軍は非常に強力なだけではなく、「奥の手」を持っていました。

それは、「賊軍への指定」です。

こちらには
帝の勅命がある!

お前たちは
賊軍であり、朝敵なのだ!

ええっ!

そもそも、薩長軍5,000人に対して、幕府軍15,000人で戦った「鳥羽・伏見の戦い」で幕軍が敗北した理由。

それは、「錦の御旗」の絶大な効果でした。

当時、最新鋭兵器を英国から購入していた薩摩。

英国公使 H.Parkes(Wikipedia)

対する「旧式兵器で戦っていた」と言われる幕府軍は、主にフランスから最新兵器を購入していました。

幕府軍の武器は、薩長にそれほど劣った武器ではなかったのです。

岩倉 具視(Wikipedia)

そこで、岩倉具視らが中心となり「誰も見たこともない」という「錦の御旗」を偽造して「官軍」となったのです。

この頃は、朝廷の立場が未確定でした。

ところが、鳥羽・伏見の戦いの頃には、朝廷がはっきりと新政府側につきました。

そして、奥羽列藩同盟を「賊軍(朝敵)」と指定したのです。

奥羽列藩同盟に加盟する
藩は、全員朝敵だ!

これは痛恨の一撃でした。

当時の武士にとって、賊軍・朝敵となることは「死よりも辛い」ほどの「最悪の汚名」だったのです。

朝敵?!・・・

名藩の仙台藩が、
賊軍・・・

我らは、
天朝の朝敵なのか・・・

武士として生きる道だった藩士たち。

そして、武士とは「ただ戦う戦士」ではなく「高い精神性を有した特別な存在」だった時代。

この時代において、朝敵や賊軍の汚名は「耐え難い屈辱」を遥かに超えた「異常なダメージ」でした。

小学校4年生頃の後藤にとっても、それは「痛恨の一撃」だったのでした。

次回は上記リンクです。

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