前回は「超親日派だったヘンリー・スティムソン〜大いなる感受性と信念・原爆投下地・京都の除外・日本人の精神の故郷・京都=Kyoto〜」の話でした。
日本を長く見つめてきたスティムソン陸軍長官
Kyotoという街は、
雰囲気も街並も非常に美しい・・・
Kyotoは、
実に素晴らしい街だ・・・
Kyotoをこよなく愛するスティムソン陸軍長官。
ルーズベルト大統領から、陸軍長官就任を打診されました。
ヘンリーは国務長官経験者で、共和党重鎮。
彼こそ陸軍長官にベストだ!
ヘンリー、
陸軍長官に就任して欲しい。
承知しました。
陸軍は私にお任せを!
そして、ヘンリーは陸軍長官就任を引き受けます。
実は、「Kyoto大好き」人間であったヘンリー・スティムソンは日本を長い間見てきました。
1931年の満州事変によって、傀儡の満州国を樹立した大日本帝国。
この時、米国の国務長官(外務大臣などの権限を持つ強力な立場)だったのが、スティムソンでした。
Japanの軍がChina(中国)で
暴れ回った頃、国務長官だった・・・
Japanの陸軍は
やりたい放題であった・・・
勝手に侵略して、
一方的に国家を樹立するなど言語道断であった・・・
Kyotoを愛していたスティムソンは、日本の歴史や国家状況をよく理解していました。
私はJapanを長い間
見つめてきたのだ・・・
この時は、日本では実に不思議な事態が起きていました。
実は、日本政府自体は「中国へのさらなる侵略を止める」方針だったのでした。
穏健派だったエリートの幣原喜重郎 外務大臣は、
もうこれ以上
戦争を拡大するな!
「戦争不拡大」の指示を陸軍に出しましたが、陸軍は、
陸軍の参謀総長は、天皇を輔弼する
「統帥権」を持っている!
政府の外務大臣に、
あれこれ言われる筋合いなどないわ!
陸軍、および現地の関東軍(日本の関東地方とは別)は暴走して、満州国樹立に至りました。
つまり、この頃から、日本の軍部は「政府がコントロールできない組織」に変質して行ったのでした。
さらに、勢い余って「国際連盟離脱」に踏み切った大日本帝国。
Japanの統治機構は
よく分からない点が多いが・・・
私は国内で最も
Japanを理解しているだろう・・・
こうして、日米戦争の足音が近づく中、スティムソンは陸軍長官となったのでした。
開戦間近の日米関係とハル・ノート
この頃、ヨーロッパではヒトラー率いるドイツの独壇場で、米国は参戦の機会を窺っていました。
日米交渉が続けられ、米国はハル国務長官が、日本は野村・栗栖駐米大使が交渉を続けていました。
当時、中国をはじめとするアジアの侵略戦争を大規模に実施していた日本。
ハル国務長官は、日本に対して非常な強行姿勢を貫きます。
そして、遂に、「ハル・ノート」と呼ばれる「最後通牒」を日本に突きつけます。
この提案の全てを、日本が
呑むことは、ない!
日本との戦争が開始することを予想していた、ハル国務長官。
あとのことは、陸海軍の皆様に
お任せします・・・
分かりました。
陸軍はお任せを・・・
あの美しいKyotoだけは、
戦場になってほしくない・・・
ハル国務長官は、陸海軍に本格的な戦争準備を依頼します。
親日派のスティムソン陸軍長官としては、残念に思ったでしょう。
だが、合衆国のために、
私は最善を尽くそう!
大きく異なる日米の政治機構:東條英機総理大臣誕生
私が陸軍大臣
東條英機である!
陸軍長官は、日本においては陸軍大臣です。
日米関係が悪化を続けている頃、日本の陸軍大臣は東條英機でした。
スティムソン陸軍長官は、第二次世界大戦を通じて、米陸軍を統括しました。
私は内閣総理大臣
でもあり、内務大臣でもある・・・・
総理大臣に限らず、大臣や責任者がコロコロ変わるのは、当時も同じだった日本。
対して、米国は昔から「大きな落ち度がない限り、同一人物が続ける」姿勢が鮮明です。
スティムソンは1940年から日本が敗戦を迎える1945年まで、ずっと陸軍長官を続けました。
私は
ずっと対日戦で陸軍を指揮した!
陸軍長官の役目、それは陸軍の軍政面でした。
日本と米国は、軍部における組織が似ていて、下記のようになっていました。
陸軍長官(陸軍大臣):軍政(人事・行政などの維持管理)の最高責任者
参謀総長:軍令(戦争・戦闘などの作戦指揮)の最高責任者
「陸軍内の組織は似ていた」日米両国。
一方で、陸軍長官(陸軍大臣)・参謀総長の立場は著しく異なっていました。
日米交渉を継続していた際、総理大臣だった近衛文麿。
何とか米国とは、
話し合いで解決したい・・・
近衛は、決裂状態だった日米関係を「交渉で解決」の道を模索していました。
なぜ、近衛首相は、
米国の要求を簡単に呑もうとするのですか?
満州では、何人の
我が赤子(日本人)が戦死したと思っていますか?
「融和路線」に不満を持っていた東條英機陸軍大臣。
陸軍は、中国からの撤退などの
条件は一切呑めない!
近衛首相に「陸軍は引けない」とハッキリ通告しました。
強い力を持つ陸軍を
統括する東條大臣と話が全く噛み合わなない・・・
これでは、到底、
内閣を続けることはできない・・・
陸軍との鋭い対立に対して、
内閣総辞職
します・・・
近衛内閣は、あっさり倒閣してしまいます。
これは、米国では「絶対あり得ない事態」でした。
米国ならば、もし、大統領が「陸軍長官Mikeと合わない」なら、
もう良い、Mike長官は
クビ!
新たな陸軍長官は
Jackだ!
新陸軍長官を、大統領が任命すれば済みます。
この後、大統領の指名を「本人が受けるかどうか」はあります。
ところが、日本は「陸軍大臣は陸軍が出す」制度となっていました。
「日米開戦かどうか」という日本の危機的状況の中、内閣が倒れてしまいました。
この異常事態に対して、昭和天皇は大きく危惧しました。
・・・・・
それほど陸軍の力が強いなら、
陸軍に総理をやってもらうしかないだろう・・・
そして、昭和天皇は東條英機を呼び出しました。
東條よ。
そなたが組閣せよ・・・
はっ・・・
ご下命とあらば・・・
私が総理大臣になるとは
思いもしなかったが・・・
これも米国とは全く、というよりも対照的に異なる風景でした。
米国ならば、
大統領に
立候補します!
「自ら立候補して」大統領が決定するのに対して、この頃の日本は「天皇の一存」でした。
もはや、
一生懸命やるしかない・・・
そして、昭和天皇から大命が東條英機に下り、東條英機が新内閣総理大臣となりました。
内閣総理大臣
東條英機です!
そして、東条内閣の陸軍大臣は誰だったかと、
それは
知らない・・・
かなり
細かな知識だね・・・
それが問題で出たら
出来ないかも・・・
陸軍大臣
東條英機です!
陸軍大臣は、東條英機総理が兼務したのです。
えっ!
なんで?
陸軍大臣より、総理大臣の方が
偉いのではないかしら?
そもそも、総理大臣なのに、
陸軍大臣の役目も果たせるの?
すごく
大変そう・・・
これは中学入試では出題されないと考えますが、「当時の日本」を理解する上で大事なことです。
この「東條総理が陸相(陸軍大臣)兼務」の「米国ではあり得ない」事実。(短期間を除く)
この事実こそが、日米の組織上の「極めて大きな違い」が表面化した事態でした。
この「極めて大きな違い」を引きずりながら、敗戦・終戦まで日本(大日本帝国)は突き進みました。
次回は上記リンクです。