前回は「選択・暗記問題の解き方・コツ・ポイント 4〜国家の窓口のイメージ・「日本の窓口」長崎出島と戦いの最前線・「丸暗記」のデメリット・歴史の流れをイメージ・文禄・慶長の役から関ヶ原へ・豊臣政権の致命傷〜」の話でした。
暗記問題を合理的に考える姿勢:状況から選択肢を推測
開成中学校の2020年の社会第2問です。
次の問9を考えてみてください。
今回は「正しいもの」です。
「正しいもの」と「誤っているもの」を間違えないように、しっかりマークしましょう。
順に見てゆきましょう。
アは、家康がキリスト教禁教令の話で、日本人の海外渡航は、
海外渡航・・・
どうだったかな?
「海外渡航はどうか?」と疑問に思うかもしれません。
海外渡航も禁じたのは徳川三代将軍 徳川家光です。
そこで✖️ですが、よくわからない場合は△にして進みましょう。
徳川家康は、亡くなる前年の1615年に豊臣家を滅ぼします。
やっと、
豊臣を消した・・・
大人しく徳川に従えば、
存続させてやっても良かったのだが・・・
この時まで必ずしも徳川家が日本の代表ではなく、形式的には家康は豊臣家の家臣でした。
そこで、
そこまで家康が、
強権を振るうことはできないかな・・・
「当時の政治体制から推測する」姿勢も大事です。
大激戦だった島原の乱
イは、島原の乱は徳川幕府にとって大変衝撃的な事件でした。
1615年の大坂の陣以降、20年間は比較的平穏でしたから、感覚的には内戦に近いでしょう。
手を焼いた幕府は、なんと13万人もの軍勢を島原に派遣し、なんとかやっと鎮圧しています。
宗教で一致団結した
一揆がこれほど強いとは・・・
特にキリスト教は
注意しなければならない!
そして、「ポルトガル戦の来航を禁止した」のです。
ちょっとわからなくても、
ほとんど内戦だった、
島原の乱・・・
あの大変な事件のあとは、
キリシタン関係のポルトガルの来航を禁止しそう・・・
「ありそう」と考えて、ほぼ○です。
ウは長崎に来航して交易することを認められたのは「オランダと中国のみ」で、朝鮮は対馬・宗氏を介しています。
そこで、✖️なのですが、このことを知らない場合
そうかも
しれない・・・
「そうかも」と考えると△となります。
エは「江戸期を通じて」が気になります。
「通じて」ということは「江戸期ずっと」になります。
「少しの期間でもそうでなかった」可能性がありますから✖️です。
実際は、蝦夷地が幕府の直轄となったのはロシアやアメリカなどの船が来た江戸末期です。
徳川幕府が、
蝦夷地はアイヌのことも含めて、
松前藩に任せていたが・・・
ロシアが南下してくる可能性が
あるから、蝦夷は対ロシアの最前線だな・・・
そこで、「日本の防衛のために直轄地」としたのです。
それまでは、松前藩が蝦夷地を管理していました。
歴史で「ある期間」など全否定することは難しいので、基本的に✖️です。
このように「通じて」「ある期間ずっと」というのは「必ずしもずっとではない」可能性が高いです。
そこで、「全否定は基本的に✖️」であることが多いです。
「異民族が住む地」という意味の「蝦夷地」は、1840年に日本で作成された世界地図に描かれています。
上の日本で作成された地図の拡大でも、「日本を意味する黄色」が蝦夷地には塗られていません。
アイヌ先住民族がいたことからも、蝦夷地に対する視点は様々であったのでした。
上記の様になります。
答えはイとなります。
(イ)
イメージして暗記を増やす方法:歴史の「作用反作用の法則」
多くの受験生の方が、日本歴史のまんがをお読みでしょう。
島原の乱では、徳川幕府が「かなり手を焼いた」ように描かれているでしょう。
そういうイメージは、ぜひ頭に入れておきましょう。
島原の乱は、
幕府にとって、とても大変な事件だったんだな・・・
このイメージがあれば、その反動で将軍が強硬策に出ることが想像できます。
実際、「血で血を洗う」ような死闘の果てに鎮圧した島原の乱。
「乱」と言っても、「戦争」に近い大規模な戦いでした。
「日本人の海外渡航を禁止」というのは、現代ほど人の流れがなかったとしても「かなり強硬な政策」です。
そういう「かなりのこと」を徳川家光が強行したイメージが大事です。
徳川家光が、
私は
生まれながらの将軍である!
と宣言した「強い将軍のイメージ」と重なります。
そういうふうにイメージをつなげてゆくと、暗記もしやすくなります。
直前期は大変で「ひたすら暗記」することも必要かもしれませんが、「きちんと頭に残ること」が大事です。
「量をこなさなくては」と焦る気持ちも分かりますが、明確に知識として定着することも大事です。
物理の「作用反作用の法則」と同じで、歴史では「何かの反動」が多いのが実情です。
幕末、当時の総理大臣格であった、井伊直弼大老の暗殺事件・桜田門外ノ変。
これは井伊直弼が実行した「安政の大獄」の「反動であった」側面があります。
徳川幕府に楯突こうと
する連中は、全てこの世から消せ!
とは言っても、
水戸の斉昭殿のような方を処刑するわけには・・・
少なくとも、
俺の眼中から消せ!
おい、ちょっと待て!井伊よ!
それは「やりすぎ」だろう!
関係ない!
大名なら蟄居、志士とかいう奴らは斬首!
おのれ、井伊め・・・
見ていろ・・・
井伊の奴・・・
必ず後悔させてやる・・・
強引すぎた井伊大老の「安政の大獄」によって、は激昂した水戸藩士たち。
井伊を
殺してやるのだ!
井伊よ!
覚悟!
むうう・・・
ま、まさか・・・
桜田門外ノ変は、歴史の「作用反作用の法則」の典型例でもあります。
このようにイメージを膨らましながら、知識をどんどん増やして暗記問題に強くなってゆきましょう。
次回は下記リンクです。