歴史に興味を持って成績を上げるコツ〜日本の歴史的立場と元寇・「外国の方の日本史への視点」を楽しむ姿勢〜|武蔵中1990年社会3・過去問・中学受験

前回は「大陸から日本に来たもの〜文明と文化を取り入れて変容させ続けた日本・問題文を読みながら想像・色々夢想して歴史に興味持つ姿勢〜」の話でした。

目次

歴史に興味を持って成績を上げるコツ:日本の歴史的立場と元寇

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問2に進みます。

現代では、「常に緊張関係にある」と表現して良い日本と中国の関係。

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ジャワハルラール・ネルー インド初代首相(Wikipedia)

ネルー・インド初代首相の視点から見れば、歴史的に日中関係は、

ネルー

日本は中国のよくできる
弟子であったが・・・

という認識で、日本は「中国のよくできる弟子」であり続けた表現されています。

この表現に関しては、ちょっと異和感を感じる方も多いかと思います。

ニュアンスとしては、「日本は中国の優れた高弟であり続けた」とも受け取れます。

ネルー

日本は中国から自分のやり方で取り入れ、
都合の良いようにつくりかえた・・・

ネルーの手紙においては、

ネルー

(日本と)中国との間には
親しい関係が保たれ・・・

と中世頃まで「ずっと仲良しだった日本と中国」という表現がされています。

これに対して、問題文では、

出題者

日本と中国の親しい関係は、
13世紀後半に一度中断しましたが、なぜですか?

「親しい関係が中断した理由」を出題者が尋ねています。

まず、歴史を学ぶ際には「〜世紀」よりも「〜年」で考えることが多いでしょう。

そのため、基本的には「〜年頃」の方が「〜世紀頃」よりも分かりやすい傾向があります。

「1世紀=西暦元年(1年)〜100年」のため、「100年代では、世紀と一つずれる」です。

「2000年代の現代は、21世紀」であることを念頭に「13世紀後半=1200年後半」となります。

これは基本的なことかも知れませんが、「世紀と年号」はパッと切り替えられるようにしましょう。

男子小学生

1200年代後半に
中国との間に起きた大事件・・・

男子小学生

あっ!
元寇だ!

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モンゴル帝国初代皇帝 チンギス・カン(Wikipedia)
チンギス・カン

我がモンゴル帝国の
領土を広げるのだ!

初代皇帝 チンギス・カンが建国したモンゴル帝国は、大変な膨張を続けました。

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モンゴル帝国五代皇帝 クビライ・カン(Wikipedia)
クビライ・カン

ジパング(日本)へ
攻め込むのだ!

第五代皇帝クビライ・カンの時に、モンゴル帝国は海を越えて日本へ攻め込んできました。

マルコ・ポーロの時代のこの頃は、日本は「ジパング」と呼ばれていました。(諸説あります)

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モンゴル帝国の最大版図(Wikipdeia)

アジアから欧州へかけて「超大帝国」を築き上げたモンゴル帝国。

「西へ西へ」と伸びていたモンゴル帝国は、一転して、

クビライ・カン

海を越えて、
東のジパング(日本)を支配下へ!

猛烈な勢いで西へ伸びていたモンゴル帝国は、「もっと西へ行く」と思いきや、東に攻め込んできました。

日本へ攻め込んだ理由は諸説ありますが、とにかく、

クビライ・カン

我がモンゴルの大軍勢ならば、
ジパング(日本)なんぞ、すぐに潰せるわ!

こう考えていたに違いないのが、クビライでした。

蒙古襲来絵詞(Wikipedia)
当時の日本軍将兵

モンゴル軍は
凄まじい最新兵器を持っているぞ!

当時の日本軍将兵

我らの弓矢や刀の戦いとは
大きく違うな!

当時の日本軍将兵

我が日本の武士の
強さを思い知らせてくれる!

ところが、モンゴル軍の予想とは大きく異なり、ジパング(日本)軍は猛烈な抵抗を見せました。

文永(1274年)・弘安(1281年)の役と二度攻め込んだのに、台風などもあって敗退したモンゴル軍。

クビライ・カン

なぜ、ジパング(日本)軍ごときに、
我がモンゴル軍が敗北したのだ・・・

内心、大きなショックを受けたに違いないでしょう。

日本にとっては、

当時の日本軍将兵

蒙古襲来だ!
負けたら、属国にされてしまう!

自分達の国家・家族たちの運命を決する、超大戦争だったのが元寇でした。

問3の答えは「元寇」ですが、記述では少し説明したいです。

例えば「モンゴル帝国(元)の大軍勢が二回日本に攻め込んできた」は、ちょっと良くないです。

これは「歴史的事実を答えている」点で正しいですが、問題文は「なぜですか?」と聞いています。

そのため、事実を記載するだけでなく、「〜のため」や「〜だから」「〜による」と答えるのが良いです。

問2の答え(解答例)

・モンゴル帝国・元の大軍勢が二度に渡り、日本に攻め込んできたため。(良い例)

・元の大軍が二度に渡って日本の北九州周辺に侵攻(元寇)し、双方が多数の損害を受けたから。(良い例)

・モンゴル帝国(元)の大軍勢が二回日本に攻め込んできた。(惜しい例:「理由の答え」になっていない)

・元寇があったから。(悪い例:元寇の説明が少し欲しい)

・中国が大軍で日本に攻め込んできたから。(悪い例:モンゴル帝国は中国と異なる)

元寇に関する選択問題を考える話を、上記リンクでご紹介しています。

「外国の方の日本史への視点」を楽しむ姿勢

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中国(新教育紀行)

問3へ進みます。

出題者

ネルーが日本の歴史を誤解していると
思われる箇所は、何ですか?

外国の方にも関わらず、ネルーの日本史への理解はかなり高いレベルです。

非常に優れた人物であったネルーですが、いくつか「日本の歴史への誤解」が見受けられます。

この「他国の歴史への誤解」は、当然起こりうることです。

「自国の歴史」ならば、自国の民族性を感覚として把握していますが、「他国は別」です。

この問題は「日本史の事実に基づく」問ですが、「誤解は何か」という大変良い問です。

女子小学生

誤解といえば、
「日本は中国の弟子」はちょっと違う・・・

男子小学生

そうだよね。
確かに、中国から様々な文明・文化をもらったけどさ・・・

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もう一度、ネルーの手紙を読んでみましょう。

女子小学生

それから、日本を「好戦的な軍事国家」と
表現するのは、ちょっと行き過ぎな気がする・・・

男子小学生

鎌倉時代って、そんなに平和だったのかな?
結構内部抗争もあったよね・・・

このように、日本人の視点から見ると「ちょっと違うんじゃないの?」という点は多数あります。

女子小学生

でも、テストの答案で答えるのは、
「ちょっと違うのでは?」で良いのかな?

この問題の採点基準は、「かなり採点者による」と考えます。

そのため「何が○で、何が✖️か」は採点者本人以外には、確たることは不明です。

女子小学生

私が「ちょっと違う」と思っても、
✖️の可能性があるのかな・・・

このように「個人の主観が大きく入る余地がある問題」は、出題されにくいかもしれません。

実際、1990年武蔵中で出題されたので、「自分が違う」と思うことを堂々と書くと良いでしょう。

男子小学生

3人って信長・秀吉・家康だけど、
「連中」って一まとめにしてるね・・・

男子小学生

3人とも、朝鮮侵攻と結びつけている
のも気になるけど・・・

「これは変でしょ」と思うことを「答えて下さい」という問題です。

「ネルーの勘違いでしょ」「変だと思う」と考えることを書いてみましょう。

そして、「外国の方の日本史への視点」を楽しむ姿勢を持って、こういう問題を考えると良いでしょう。

下記は一つの例で、他にも解答例はあるでしょう。

問3の答え(解答例)

・中国が穏健な国で、日本が好戦的軍事国家という表現は歴史的事実と異なる。(最も良い例)

・中国から様々な文物を受けたのは事実だが、日本を「中国の弟子」というのは少し言い過ぎである。(最も良い例)

・「3人の人物」は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を指すと思われるが、朝鮮侵略を主導したのは秀吉であり、信長は関与していない(「家康の間接的関与」は書かなくても良い)。(良い例)

・「都合の良いように全てをつくりかえた」は、「全て」ではないので不適切。(良い例)

・鎌倉時代は平和な時代ではなく、源氏将軍は三代で絶え、執権・北条氏周辺では内部抗争が続いていた。(良い例)

・「日本は中国のよくできる弟子」は違う。(惜しい例:ネルーがこう考えた事実を認める姿勢が欲しい)

・日中の貿易が「主として中国の商船」による表現は違う。(悪い例:「主として」は曖昧で否定しずらく、問題の対象は「日中の歴史」よりも「日本の歴史」)

・「中国は本質的に穏健な国であった」は中国の歴史を勘違いしており、事実と違う。(悪い例:「日本の歴史」に関する問なので、中国のみを対象とするのは✖️)

次回は上記リンクです。

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