歴史の理解を深めるコツ〜第二次世界大戦と太平洋戦争・欧化を猛烈に推進した明治新政府・岩倉使節団の真の目的〜|上水と下水6・女子学院中2024年社会・過去問・中学受験

前回は「歴史の並び替え問題を解くコツ〜「歴史の流れ」で並び替える・選択問題から知識を深める姿勢・「正答に至る」だけでない学び〜」の話でした。

目次

欧化を猛烈に推進した明治新政府:岩倉使節団の真の目的

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問3に進み、明治維新の「お雇い外国人」に関する問題です。

ひたすら「打倒・徳川幕府」で突き進んで討幕を果たした薩長中心の勢力。

「維新の三傑」として、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允が挙げられます。

筆者は、この三名に岩倉具視を加えて「維新の四傑」と整理するのが分かりやすいと考えます。

維新の四傑(新教育紀行)

・薩摩:西郷隆盛、大久保利通

・長州:木戸孝允

・公家:岩倉具視

新教育紀行
明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

そして、「近代化」を猛烈に推進した明治新政府。

当時の明治新政府にとって「近代化=西洋化欧化」でした。

我が薩摩は、かなり西洋技術を
推進していたが、もっと近代化せねば!

当時の「近代化=欧化」の勢いは凄まじく、世界史で見ても「異常なスピードの近代化」となりました。

近代化=欧化」とは「欧米、特に欧州の最先端技術をそのまま輸入する」事でした。

ア:「明治新政府の中心人物が欧米に視察」は、岩倉使節団を指していそうです。

ところが、「明治天皇は同行していない」ので✖️です。

入試当日なら、これで、

よしっ!
答えはアだ!

となって、他の選択肢を読まないで先に進んでも良いでしょう。

ここでは、「たまたま最初のアが答え」なので、きちんと全ての選択肢を見ましょう。

イ、ウ、エは全て「明治新政府が超推進したこと」ですから、○です。

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新教育紀行
岩倉使節団(Wikipedia)

岩倉使節団に関して、補足です。

アの「政府の中心人物が視察」は、後の初代警視総監となる川路利良などが行った視察を指します。

この「政府の中心人物が視察」は岩倉使節団も「当てはまらなくはない」ですが、少し異なります。

岩倉使節団の最大の目的は「条約改正」であり、「視察」は優先順位が低かったのが現実でした。

岩倉使節団の目的

1.江戸時代に締結した(させられた)不平等条約改正の(予備)交渉

2.条約締結中の先進国の国家元首に国書を提出

3.西洋の先進文明の実地調査

岩倉使節団にとって、「視察」や「実地調査」は大事でしたが「最優先ではなかった」のです。

ある意味では「結果論に過ぎない」という見方もあります。

実際、岩倉使節団が「条約改正の成果ゼロ」に終わり、

まさか、こんなにも
成果が挙がらなかったとは・・・

西洋を実際観たのは良かったが、
国内でやるべきことが山のようにあるので、果たして・・・

政府首脳部はイライラが募り、もともと「合わなかった」木戸と大久保は「喧嘩状態」になりました。

大体、大久保とずっと一緒にいるのは
苦痛でしかないのだ・・・

木戸さんは、幕末のことを
いつまでも引きずっていて・・・

木戸と大久保は「口すらきかない」超険悪な仲となって、帰国に至りました。

大久保とは、出来るだけ
一緒にいたくない・・・

「一緒にいたくない」から、「別々のルートで帰国」に至ったのが大久保と木戸でした。

この頃、40歳頃であり「大英雄」だった二人ですが、共に「少し子どもっぽい」ところがありました。

答えは「ア」です。

歴史の理解を深めるコツ:第二次世界大戦と太平洋戦争

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出島(Wikipedia)

次は、「オランダと日本の関わり」に関して、正しいものを選びます。

日本にとって、馴染み深い外国はもともとは「中国と(南北)朝鮮」でした。

室町後期・戦国時代頃から、当時強国だったポルトガルとスペインが日本にやってきました。

アジア人とは違う風貌の彼らは「南蛮人」とまとめ、オランダもやってきました。

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戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

南蛮人から地球儀を披露され、説明を受けた織田信長。

コレガ、ワタシタチガ、スンデイル、
チキュウデ、マルイノデス・・・

ほう・・・
「地球は丸い」と申すか・・・

ソウデス・・・
ソレデ、ワタシタチハ、フネデキマシタ・・・

確かに、「地球は丸い」のは
合理的な話だのう・・・

「日本で最初に地球儀を見て、理解した人物」は、織田信長と言われています。

ア:オランダは「ポルトガル・スペインの後」なので、✖️です。

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フランシスコ・ザビエル(Wikipedia)

イ:イエズス会と言えば、フランシスコ・ザビエルで、背後にいたのはポルトガルだったので✖️です。

そもそも、戦国期はオランダは「スペインの一部」であり、スペインとの独立戦争を起こしていました。

ウ:第二次世界大戦でオランダは日本の敵であり、軍事同盟は結んでないので✖️です。

エ:太平洋戦争(第二次世界大戦)中、日本はオランダ領=植民地に進出して、占領したので◯です。

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答えは「エ」です。

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大日本帝国の進出(第二次世界大戦全史 洋泉社MOOK)

第二次世界大戦の名称に関して、補足です。

世界史では文字通り「第二次世界大戦=World War 2」と呼ばれている、この戦争。

日本では別称として太平洋戦争大東亜戦争などがあります。

このうち、大東亜戦争という名称は、当時の大日本帝国が「大東亜共栄圏構築を目指していた」からです。

当時は世界中の列強国が「帝国主義」で植民地を多数有していた時代です。

そこで、日本は「アジアの盟主」を目指して「大東亜共栄圏のボス」を目指したのでした。

そのため、「大東亜戦争」という名称は「軍国主義を肯定」と見做される傾向があり、一般的ではありません。

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左上から時計回りに、東條英機 総理大臣兼陸軍大臣、阿南惟幾 陸軍大臣、永野修身 軍令部総長、山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)

そして、「太平洋戦争」という言葉は、なんとなく「太平洋中心で戦争した」イメージです。

もちろん、当時は中国や東南アジア各地で戦争していたので、このイメージは「誤り」とも言えます。

一方で、大日本帝国にとって、最大・最強の敵であった米国と死闘を繰り広げたのが太平洋でした。

そして、戦後は「米国の単独占領」を受けた日本。

1945年から1952年まで、7年間ほど「米国の完全支配下」に置かれた日本。

そのため、「日本(大日本帝国)の視点」としては「太平洋中心の歴史」となる傾向があります。

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絶対国防圏(歴史群像シリーズ 太平洋戦争6 学研)

戦争後期において、劣勢となった大日本帝国は、「絶対国防圏」を設定しました。

絶対に、絶対に
このラインを守り抜くのだ!

米国が強すぎるので、
太平洋は後退したが・・・

アジアの占領は死守し、
大東亜共栄圏は、なんとしても守るのだ!

後に崩壊した「絶対国防圏」は、アジアを大きく包摂する国家像を持っていました。

問題文にある「アジア太平洋戦争」という言葉は、あまり聞かない言葉です。

この戦争において、アジアと太平洋各地で激しい戦争・戦闘を繰り広げた大日本帝国。

そして、戦争末期には、大勢の若者たちが「神風特別攻撃隊」として出撃して、散華(戦死)しました。

この点から考えれば、「アジア太平洋戦争」という名称もまた「ありえる」のでしょう。

このように、選択問題で出会った言葉や単語から、歴史の理解を深めると良いでしょう。

歴史の理解を深めるコツ

・選択問題で、ただ「出来た」「出来なかった」ではなく、背景を理解

・知らない言葉や単語に出会ったら、調べて理解を深める

次回は下記リンクです。

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