前回は「不安な気持ちを解消して平穏な気持ちへ〜不安になってもやめない「もう一踏ん張り」の精神・懸命に農学を学んだ新渡戸稲造・「武士道」を英語で書く・太平洋の架け橋・後藤新平の招聘受け台湾へ〜」の話でした。
鋼鉄の精神を持つ男
今回は、岩倉具視です。
明治維新を成し遂げた一人、岩倉具視は大変なやり手の人物です。
「鋼鉄の精神を持つ男」と言われた岩倉。
実は、俺が
「錦の御旗」を作らせたのだ!
そして、俺が徳川幕府を
朝敵指定する勅命を作成したのだ!
つまり、「明治維新の官軍」を作った男が岩倉具視だったのでした。
そして、その官軍の二大根拠となった「錦の御旗」も「勅命」もいわば「偽物」だったのが現実でした。
すると、「明治維新」はいわば「偽物の上に乗った行為」となりますが、歴史はそういう面もあります。
明治維新の際には、猛烈な強引さで官軍・新政府軍を引っ張りました。
かなり強引なところが多い岩倉ですが、変革期にはああいう人物が必要なのでしょう。
異常な迫力を持っていた岩倉具視:忍耐から生まれる力
この写真を見ると、岩倉独特の超ド迫力が写真越しに伝わってくるかの如くです。
俺が日本の代表
岩倉だ!
このような岩倉の声が聞こえてきそうです。
岩倉使節団に関する問題を解くコツを、上記リンクでご紹介しています。
後に内務卿となって官僚達から恐れられた右端の大久保利通。
大久保の部下たちからは、
大久保さんって、
怖いよな・・・
大久保さんの靴音が
聞こえてくると、緊張してしまう・・・
こんな「ぼやき」が聞こえてくる事態でした。
その「ド迫力」大久保すら、岩倉に比べると少し迫力不足にすら感じられます。
大久保はその極めて優れた頭脳と、静かな迫力で明治新政府をグイグイ引っ張ってゆきました。
廊下で「コンコン」と大久保らしき人物の靴音が聞こえた時。
官僚たちは、
あの靴音は
大久保さんだよな・・・
しっかり真面目に仕事してないと
また雷落とされるぞ!
「皆緊張して、静まってシーンとした」という逸話があるほどです。
当時の大久保は、若き官僚たちにとって「ド迫力が歩いている」ような存在でした。
この大久保を上回るともいえる迫力を持っていたのは、岩倉か西郷だけでしょう。
この意味では、征韓論争(明治六年の政変)で正面衝突した岩倉と西郷。
この時、西郷は当時「日本でただ一人だった陸軍大将」を超えて「日本でただ一人の陸軍元帥」でした。
さらに参議と近衛都督(天皇直属兵の長官)を兼ねた西郷の影響力は絶大でした。
征韓論に関する「西郷の真の考え」は諸説あります。
いずれにしても、征韓の前に「西郷自身が遣韓大使となること」に反対する岩倉一派に対して、
一度閣議で決定したことを
覆すとは何事か!
なぜ、こんな無体なことを
やるごわすか!
当時、西郷隆盛にこう凄まれては反論するのは、難しいです。
後に対決することになった大久保ですが、なんといってもまだ「西郷の弟分」的立場でした。
長州の総帥 木戸は、
まあ、西郷くん・・・
そう言わずに・・・
こう西郷に「反論」はするものの、軍(陸軍)を握っている西郷の力は絶大でした。
ここで岩倉は、
俺の目が黒い内は、
勝手なことをさせん!
なんですと!
政治の根本をなんだと思っているごわすか!
「超ド迫力には超ド迫力を」と言わんばかりに、凄まじい剣幕で西郷を睨み返しました。
・・・・・
・・・・・
この岩倉の「ド迫力」も「鋼鉄の精神」もまた岩倉の個性であり、育まれたものでした。
岩倉具視「もう少しだけ耐えて飛翔」:不安を落ち着いた気持ちへ
岩倉は、こんなことを言っています。
時日と忍耐とは、
桑葉をして絨毯に変ぜし。
時日と忍耐とは、桑葉をして絨毯に変ぜし。
岩倉の超ド迫力は、生まれながらのこともあるでしょう。
それもありますが、彼の超ド迫力・鋼鉄の精神は彼が「大きな挫折を経験したこと」も大きな理由です。
公家の中で異例のやり手だった岩倉は、政争にやぶれて一時は政治生命が絶たれました。
この俺が
失脚か・・・
そして、40前後の5年ほど蟄居されられます。
岩倉よ、お前は
京に入ってはならん!
・・・・・
格式は下の方でしたが、「一応は公家であった」岩倉は京から追放されました。
さらに、厄介なことがありました。
天誅!
テンチュウ!
当時、京都では「天誅」という名の下に暗殺・殺人が横行していました。
さらに、暗殺した身体の一部を「誰かの屋敷に投げ込む」事態も頻発していたのでした。
現代の平和な日本では、到底考えられないことです。
当時は、
岩倉を
殺してやる!
「岩倉暗殺予告」まで出てしまい、
俺が
殺される?
殺されて
たまるか!
いわば、「一番脂の乗った良い時期」に「一度は消された」存在だった岩倉。
そして、一時は「生命の危険に晒された」経験を持った岩倉。
「政治の世界から消された」だけではなく、「この世から消される」ギリギリのラインで生き抜きました。
そこから復活して、新政府の中心人物となったのです。
復活して、
俺が日本を変えてみせる!
一時は失脚・島流しになった西郷隆盛とも似ている部分があります。
その点で、「明治新政府2大ド迫力男」と呼んでもよいでしょう。
受験生も親も、受験期から直前期は今少し忍耐が必要な時です。
もうすぐその忍耐が「合格」という大いなる結果に結びつくでしょう。
たかが受験、
されど受験・・・
このような言葉があり、受験制度には問題もありますが、「何かに挑むこと」は大事なことです。
「何かに挑む」ことをしない人生は、退屈なのかもしれません。
それは、長い目では受験生本人の大きな成長の一つになるでしょう。
私は「鋼鉄の精神」を
持っているのだ!
岩倉ほどの「鋼鉄の精神」を持つのは難しくても「頑丈な精神」を持ちましょう。
「頑丈な精神」を
持って、入試当日を迎えよう!
もう少しだけ頑張って、合格を勝ち取りましょう。
岩倉のレベルまでいかなくても、強い強い気持ちが合格へ結びつくでしょう。
次回は下記リンクです。