前回は「日露戦争の流れ 2〜日露開戦へ・幕末から明治の日本・大日本帝国とロシア帝国・大国・巨人と新興国・明治天皇と伊藤博文・伊藤博文の本音と覚悟・奇兵隊の一兵卒へ〜」の話でした。
日本とロシアに対する世界の視線
昨年2022年2月に、突如ウクライナに侵攻したロシア。
Russiaが
Ukraineに攻め込むのでは・・・
という懸念が一部にあったようですが、
まさか・・・
いくらRussiaであっても、そんなこと・・・
まあ、そんな
「一線を越えること」をいきなりやるとは、考えにくいよな・・・
と誰しもが考えていました。
ところが、本当にウクライナに侵攻し、意図も易々と「一線を超えた」ロシア・プーチン大統領。
日本人の感覚では「広大すぎる領土」を有するロシア。
実は、ロシアの中でもウクライナ及び首都キーウは、「非常に思い入れのある都市・地域」なのです。
キーウ(キエフ)中心に9世紀に建国されたキエフ公国(大公国)。
実は、「ロシアの歴史はキエフ公国から始まった」というのが伝統的なロシア人の視線です。
その意味では、ロシア・プーチン大統領の主張は「分からなくはない」面があるのも、事実です。
ところが、「西側自由主義圏」の発想からすると、「信じられないこと」を次々実行するロシア。
このロシアのイメージは、日露戦争が勃発する20世紀初頭も同様でした。
当時の先進国であった大英帝国・フランス帝国・米国など欧米では、
Japanがいよいよ
Russiaと戦争始めるらしい・・・
あのJapanが「腹を決めた」
のか・・・
よりによって、あの
Russiaと戦うとは・・・
Japanも
かわいそうな感じだな・・・
ああ、Russiaと戦争して、
敗北したら、Japanは大きく領土を取られるだろうな・・・
だが、Japanには、世界最強国のGreat Britain(大英帝国)が
ついているから、むざむざ負けはしないだろう・・・
たしかに、よくあのGreat Britainが、
超格下のJapanと対等同盟結んだな・・・
日露戦争勃発2年前の1902年に、当時世界最強国の大英帝国が、新たに対等同盟を締結した国。
それが、当時、新興国であった大日本帝国だったのでした。
児玉源太郎の考えた将来
児玉源太郎は、考えます。
日本陸軍がロシア陸軍に勝つ可能性は、
わずかだがある。
ほんの
僅かだが・・・
あるのだ!
ただし、
私が作戦を全て指揮する前提だ。
それだけの自信があった児玉。
若き頃から超優等生で「将来を嘱望された」存在だった児玉。
西南戦争では、若き児玉は谷干城・熊本鎮台司令長官のもと、参謀として、西郷軍撃退に貢献しました。
その後、多数の戦争で活躍し、陸軍大臣だけではなく、内務大臣・文部大臣・台湾総督も務めた児玉。
日露戦争が勃発した1904年には、52歳の超ベテランであり「日本陸軍の重鎮」を超えて「日本政府の重鎮」でした。
児玉の強い思い:自ら降格人事を強行・総参謀長
項目 | 大日本帝国 | ロシア帝国 | ロシア/大日本帝国 |
人口(万人) | 4,600 | 12,000 | 2.6 |
現役兵力(万人) | 100 | 200 | 2.0 |
歳入(億円) | 2.5 | 20 | 8.0 |
火砲(門) | 636 | 2,260 | 3.6 |
艦船(トン) | 25 | 80 | 3.2 |
石油産出量(万バレル) | 200 | 44,500 | 222 |
当時のロシア帝国は、大日本帝国の2.6倍ほどの人口、8倍の歳入がありました。
そして、兵力は2倍。
ロシア帝国が「2.6倍ほどの人口、8倍の歳入」なのに、「兵力は2倍」という事実。
これは、「それだけ、大日本帝国が無理に無理を重ねていた」のが実情でした。
実際、ロシアは
我が国よりも、はるかに強大だ・・・
だが、あの広大な土地を守るために、
兵力は分散せざるを得ない・・・
我が国と対峙する兵力は、せいぜい半分程度
だろう・・・
ならば、兵力だけならば、
我が国と互角だ・・・
こう計算する児玉。
この間も、頭脳明晰な児玉の頭の中では、様々な戦闘シーンが繰り広げられます。
うむ・・・
このようなイメージなら、我が大日本帝国にも勝機はある・・・
それには・・・
そして、児玉は自ら、前線の満州軍総参謀長就任を望みます。
私自身が、
前線の満州軍総参謀長となります!
いや、児玉さんは「日本政府の重鎮」
ですから・・・
そのような降格人事は、
お受けしかねます。
実際、「日本政府の重鎮」である児玉が、前線の参謀長となるのは「大きな降格人事」です。
降格であろうとなんであろうと、
私自身が行かねばならんのだ!
文句あるのか!
我が国が、滅亡の危機にあるんだぞ!
と降格人事を自ら強行します。
児玉のド迫力に押された、日本政府の幹部は、
児玉には、
満州軍総参謀長になってもらおう!
見事、「降格人事」を成し遂げた児玉。
日清戦争と西南戦争
日清戦争は「眠れる獅子」清国との戦いでしたが、想定していたよりも日本軍にとって辛い戦いとはなりませんでした。
実際、当時の新国との戦いは比較的楽に終わり、戦場での戦いよりも、検疫の方が重要でした。
その検疫・予防で、大活躍したのが、児玉源太郎と後藤新平のコンビでした。
清国よりも遥かに強大なロシアとの戦いは、百戦錬磨の実戦経験者が中心となって万全を期す必要があります。
日清戦争などいくつかの戦争・戦いがありました。
「それまでで最大の戦争」であった、西南戦争経験者が上に立って指揮すべき状況でした。
日本陸軍総帥であった山縣有朋は、莫逆の友である伊藤博文の覚悟を聞きます。
万一、ロシア軍が本土上陸する時は、
伊藤は奇兵隊の頃に戻って、一兵卒として戦おう・・・
私も伊藤と一緒に、
「奇兵隊の山縣狂介」に戻ろう!
キラ星のごとく、多くの際立った人材が多数いた明治新政府。
度重なる内輪揉め・反乱で、次々と指導者がこの世を去ります。
当初、薩摩が日本軍の中心でしたが、征韓論争で西郷隆盛及び薩摩の軍人が一斉に政府を去ります。
そして、西南戦争で西郷・薩摩系軍人の大半がこの世を去ってしまいます。
西南戦争勃発時に病に臥せっていた木戸孝允。
西郷が「反乱を起こした」ことを聞いた木戸。
木戸は、思わずため息をつきます。
また西郷か・・・
西郷が大嫌いな木戸。
西郷よ・・・
いい加減にせい・・・
という言葉を遺して、病死します。
この翌年には、大久保利通が暗殺されます。
馬鹿者めが!
私の思いは、我が国を
先進国に成長させること・・・
新政府の巨頭である「維新の三傑」は1877〜78年の間に、次々にこの世を去りました。
先輩方が
どんどんこの世を去っていってしまった・・・・・
維新の風雲を駆け抜けた志士たちと総司令官・陸軍参謀総長
幕末の風雲を駆け抜け、明治政府に残ったのは高杉とともに奇兵隊を率いていた伊藤博文、山縣有朋たちでした。
伊藤は政治中心の道を歩み、山縣は陸軍の中心人物となり「陸軍の法皇」とまで呼ばれる存在となります。
奇兵隊の頃の山縣狂介に戻って、
ワシもロシアと戦おう!
伊藤の勢いに乗った「伊藤の盟友」山縣有朋。
超ヤル気満々となって、
ワシが自ら、満州へ出かけて、
最前線で指揮しよう!
なんと言っても、ワシは若い頃は
高杉(晋作)さんのもとで奇兵隊を指揮したのだ!
と勢い込みます。
実際、この時点で「山縣以上の戦歴を持つ軍人」は皆無でした。
ところが、非常に我が強く、自信家である山縣。
山縣が前線の「満州軍総司令官になろうとしている」ことを、耳にした児玉。
これは、マズイ!
マズすぎる!
山縣さんは、
自己主張が強すぎる・・・
私の言うことを
聞かないから、絶対に困る!
せっかく、私が前線の総参謀長になった
ところで・・・
私の作戦が
実行されなければ、意味がない・・・
児玉は、八方手を尽くして山縣の総司令官就任を阻みます。
プライドの高い山縣さんには、
引っ込んでもらって・・・
作戦は私に任せてくれる「ドンと構える」方に
総司令官になって頂きたい!
最終的に、薩摩出身の歴戦の勇士である大山巌が満州軍総司令官に就任します。
作戦指揮は、全て
児玉さんにお任せしもそ・・・
実は、大山巌の夫人となるのが、山川捨松です。
どこか「西郷隆盛に似ているイメージ」の「ドンと構える」大山巌は、西郷隆盛・従道兄弟の従兄弟です。
ここで、問題になるのが「ヤル気満々」の山縣のポストです。
うるさい山縣には、ベストポジションがありました。
そして、山縣には陸軍参謀総長に就任してもらい、「お飾り」になってもらいます。
山縣さんは政府の超重要人物なので、
伊藤さんと一緒に、参謀総長として本土で全軍統括して下さい!
前線は、
下っ端の我々にお任せを!
そうかあ!
やはりワシがしっかり、全軍を見なければならんな!
うるさい山縣さんを
前線から追っ払えて良かった・・・
実際、参謀総長は陸軍の作戦指揮の最高指揮官ですが、
本土で山縣さんが参謀総長として、
何を言っても、私が握り潰せば良い!
大山総司令官は、作戦全てを
私に任せてくれる・・・
これで私が、私が思い切って
采配振るえるのだ!
「大山+児玉」という当時の日本陸軍最高コンビが誕生し、ロシアに対して万全の体制を取ったのです。
次回は上記リンクです。