前回は「模試を最大限活用する姿勢〜気になる模試の判定・合不合判定テストの結果・合格判定と試験結果・一喜一憂しすぎない姿勢・合格判定は「一つの指標」・本番に活かす姿勢〜」の話でした。
「天王山」の夏を制覇:天王山という山
猛暑が続く中、中学受験・高校受験・大学受験の方は、
「天王山の夏」を
制するぞ!
天王山と言われる夏休みを
頑張って、合格に近づこう!
一生懸命頑張っていることでしょう。
「天王山の夏」で
学力アップ!
天王山の夏休み頑張って、
一気に成績アップ!
そもそも、「天王山」とはなんでしょうか。
どこかの山かな?
山での戦いかな?
そういえば、そもそも、
「天王山」の意味を考えたことってなかった・・・
ご存知の方もいるかもしれませんが、「天王山」は実在する山です。
戦国時代の山崎の合戦において、「重要拠点」とされた山です。
山崎の合戦って、
秀吉と光秀の?
本能寺の変で、織田信長が横死した直後の1582年6月13日。
わずか、本能寺の変11日後に、明智光秀と羽柴秀吉が決戦しました。
「思い切りが良い」秀吉と「思い切りが悪い」光秀
ここから先は、天王山・山崎の合戦に関する話をご紹介します。
最後に「受験生として持つべき」心構えをお知らせします。
戦国時代に、あまり興味がない方はサッと読んでください。
殿!
羽柴が大軍勢で、こちらへ向かってきています!
秀吉っ?まさか・・・
あやつは毛利に縛られているはず!
なぜ、こんなにも早く
京へ乗り込んでこれるのだ・・・
光秀!
信長様の仇、取らせてもらうぜ!
何がどうなって、こんなことが
起こりうるのだ・・・
よしっ!
皆で明智を倒すのだ!
状況を理解するのが困難な光秀ですが、
一体、なぜ・・・
なぜ、羽柴が大軍勢でこちらへ・・・
これは当然のことでした。
それほど羽柴軍の「大返し」は異常であり、「説明がつきにくい」事態だったのでした。
織田信長の象徴である安土城を陥落させ、「我がもの」として意気揚々だった光秀。
私が
天下人なのだ!
光秀と良好な関係を持っていた朝廷は「光秀を征夷大将軍に任じた」説もあります。
やむを得ん・・・
秀吉を迎え撃つぞ!
明智家重臣で、諸国に武勇が鳴り響いている斎藤内蔵助(くらのすけ)利三が光秀に話しかけました。
殿。我らがおりますれば、
羽柴撃退は、ご安心召されよ!
情報によると、羽柴は信長の三男・信孝及び
丹羽長秀とも組んでいる模様・・・
そして、どういう訳か、羽柴は
ほぼ全軍を率いているとのこと!
我が明智家も
全軍を投入すべきです!
安土城にいる明智秀満殿も
こちらへ呼ぶべきです!
接収した安土城に、明智軍5,000程度と共に、娘婿・明智秀満を配置していた光秀。
そして、「明智軍の両翼」とも呼ばれた斎藤利三と明智秀満の二人。
この二人は、「秀吉との最終決戦」には絶対必要です。
明智光秀に対する忠誠心が極めて高く、戦場での武勇はピカイチだった利三と秀満。
ここでは斎藤利三の進言通り、全軍を集結すべきでした。
ところが、光秀の判断は、
確かにそうかも
しれんが・・・
羽柴以外にも
柴田(勝家)や滝川(一益)などもおる・・・
この戦い一回では終わらぬから、
守りを固めておくのだ・・・
殿!
羽柴は、全てをこの戦いに投入しています!
だが、敵は羽柴
一人ではないからな・・・
殿!
殿らしくもないですぞ!
頭脳明晰な光秀でしたが、主人である信長を討ったことで、かなり疲労も溜まっていたのでしょう。
殿!ここは我が明智も全軍で、
乾坤一擲の戦いを!
守りを固め、
万一(敗北)の時の、手勢が必要だ・・・
殿!ここで羽柴に敗北したら、
全てがお終いですぞ!
結局、光秀は娘婿で勇猛果敢な明智秀満及び明智軍5,000を、山崎には呼びませんでした。
秀満には、安土を
守ってもらうのだ・・・
超重要ではなかった天王山:全てを投入した秀吉と守りに入った光秀
そして、ついに羽柴軍40,000 vs 明智軍16,000(諸説あり)の戦いが、山崎の地で火蓋が切られました。
圧倒的に「多勢に無勢」の明智軍。
ところが、「織田家で最も鉄砲装備率が高かった」と言われる明智軍。
多勢に無勢だが、
我が鉄砲陣で羽柴を粉砕するのだ!
あの小高い天王山からは、
山崎の地がよく見えるのう・・・
おい、秀長(秀吉の弟)、官兵衛よ・・・
あの天王山を奪取してこい!
ははっ!
今すぐに!
そして、大勢の軍隊を持つ羽柴軍が、天王山を奪取しました。
まあ、あそこ(天王山)からは、
丸見えかもしれぬが・・・
我が采配で、
軍勢を繰り出して、撃破して見せよう!
「合戦の様子が見える」のは大事ですが、平野が広がっている山崎の地。
ここでは、軍勢同士がぶつかり合う戦いになるため、「俯瞰してみる」必要は必ずしもありません。
そもそも、天王山が「合戦の行く末を左右する」超重要地であれば、秀吉自身が陣取るでしょう。
天王山は取られたが、
構わん!
我が采配で、
勝利して見せよう!
ここで、明智軍が大きく攻め上がりました。
羽柴軍40,000と言っても、その中核である秀吉軍20,000は、毛利攻めから「大返し」した軍勢。
そのため、かなり体力を使い果たしており、戦力は弱かったのです。
さらに、
「明智の槍神」と言われた
我が槍を受けてみよ!
猛将・斎藤利三が陣頭指揮を執る明智軍は、かなり強力でした。
斎藤内蔵助利三・・・
奴に匹敵するベテランの勇将は・・・
我が羽柴軍には
いないが・・・
だが、まだまだ
軍勢が手元に残っておる・・・
平野での合戦は「数が物を言う」傾向が強いです。
押せ、
押せ〜い!
ここで、秀吉の瞳がきらりと光りました。
ここが
勝機だ!
今だ!
明智の横っ腹をつけ!
まだ余力があった羽柴軍は明智軍の側面を突き、明智軍はたまらず崩れました。
むう・・・
もはや、負けか・・・
殿!
まだ坂本城・安土城が残っております!
我らが殿を勤めますので、
退却ください!
羽柴ごときに
負けたか・・・
山崎の合戦での大敗北は、そのまま「明智家の終わり」につながりました。
この後、明智光秀は「退却中、土民に殺された」と伝えられています。(諸説あり)
・・・・・
全てを投入する気持ちで:勝利の光目指して
後世から見れば、「羽柴軍に敗北するべくして、敗北した明智軍」です。
ところが、明智軍は光秀への忠誠心が高く極めて強い軍勢だったため、非常に善戦しています。
敗北した明智軍ですが、死傷者数は「ほぼ同じ」でした。
つまり、羽柴軍に対して40%ほどの少人数にもかかわらず、極めて善戦した明智軍でした。
明智軍は、
強かったのう・・・
もし、この山崎の合戦に、光秀が「娘婿・明智秀満+5,000の軍勢」を呼び寄せていたら。
それでも「羽柴方の勝利」だったように思いますが、もう少し反撃できたでしょう。
「もし、戦線が膠着」した時、
我らには
朝廷がついているのだ・・・
「朝廷を味方にしていた光秀」にも「勝利の道」はあったかもしれません。
私は全てを
投げ打って、この戦いに臨んだ!
金銀も全て将兵に与え、
「後のこと」など、あえて考えなかったのだ!
「全てを投入して勝利した秀吉」に対して、「中途半端に守って敗北した光秀」という好対照。
ここが、非常に優れた武将であった明智光秀の「限界」でした。
そして、「優れたを超越した」存在であった羽柴秀吉が「突き抜けた」ところでした。
「天王山の夏」を
制覇するぞ!
この気持ちが大事ですが、秀吉を見習って、
自分の持てること、出来ることは
全て投入するのだ!
私が出来ることは
全てやろう!
「全て投入する」気持ちを持つこと。
それが、本当に夏を制覇して受験を勝ち抜き、勝利の光を目指すことにつながるでしょう。
そして、この気持ちで直前期まで駆け抜けることが大事です。
次回は上記リンクです。