義兄弟となった秀吉と家康〜秀吉の「義弟」となった家康・峻烈な戦国の世の苦しみ・秀吉と家康の「合戦ではない戦い」〜|江戸から東京へ11

前回は「徳川家の精神的故郷・関東〜「学びの中」で鍛え上げられた家康・文武両道の太原雪斎と家康・駿河・遠江・三河・甲斐・信濃から関東へ〜」の話でした。

目次

義兄弟となった秀吉と家康:秀吉の「義弟」となった家康

戦国大名 徳川 家康(Wikipedia)

秀吉の命令で、半ば嫌々関東へ領国が移封となった家康。

まあ、
仕方ない・・・

秀吉の
妹を押し付けられるわ・・・

領土を
替えられるわ・・・

はあ・・・・

「秀吉の妹を押しつけられた」というのは、複雑な事情があります。

豊臣秀吉の(異父)妹 朝日姫(Wikipedia)

秀吉の同父妹、異父妹の両方の説がある朝日姫。

とにかく「秀吉の妹」です。

もともと家柄が定かではなく、信長や家康のように「城主の生まれ」とは全然違う境遇で育った秀吉。

秀吉は数少ない身内を非常に大事にして、自分の周囲を固めます。

血縁者は
大事!

峻烈な戦国の世の苦しみ

戦国大名 今川義元(Wikipedia)

家康はと言うと、

最初の結婚は、
義元殿の肝煎りで・・・

家康がまだ「松平元康」と名乗っていた頃、今川義元の重臣の娘と結婚しました。

元康よ。
私の娘同然だ。

仲良くしろよ。

築山殿(Wikipedia)

元康殿。
よろしくお願い申し上げます。

こうして結婚した家康(元康)でしたが、桶狭間の合戦後に今川家と対立します。

なんという
こと!

その結果、妻であった正室の築山殿とは不和となりました。

その後、武田家との戦いの中で重大な亀裂が走ります。

このあたりの事情は、諸説あります。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

当時、家康の同盟相手であり「目上の存在」であった信長。

信長は家康との同盟強化のために、大事な娘・五徳を家康の長男・信康と結婚させました。

ところが、五徳と信康の夫婦仲はあまり良くなかったようです。

我が娘を
ないがしろにして・・・

さらに、武田家と内通(密かに手を結ぶ)した疑いのあった五徳の夫・信康に対して、

挙句の果てに、
宿敵・武田と手を結んだ、だと!

怒り心頭の信長。

こうなっては、もはや手のつけようがなくなります。

長男の信康を
始末せよ!!!

なんと、家康の長男であった徳川信康の切腹を命じます。

え・・・

家康は逆らうことができません。

仕方ない・・・

人質の処刑が日常茶飯事だった戦国時代とはいえ、「自分の長男を殺す」ことになった家康。

峻烈な戦国の世の苦しみを経験することになりました。

私の子を殺すとは、
何を考えているの?

さらに妻の築山殿との関係がこじれにこじれ、修復不能になりました。

最終的に家康は、築山殿の放逐を家臣に命じた経緯があります。

その後、ずっと独身であった家康。

秀吉と家康の「合戦ではない戦い」

天下人 豊臣 秀吉(Wikipedia)

そこに目をつけた秀吉。

この時期の前になかなか上洛・臣従しない家康に対して、策を練ります。

そうだ!
家康と我が妹を結婚させよう!

秀吉らしく一気に飛躍した案を思いつきます。

家康殿は独身だから、
我が妹と再婚されてはどうでしょう。

つまり、

妹を人質に送るから、
出てきて臣従しなさい。

ということでした。

すでに50歳近い家康は驚きます。

え・・・?

秀吉の妹と
結婚?

秀吉め、
そこまでやるか・・・

ここまで天下人にされては、到底断ることはできません。

いわば、秀吉と家康の「合戦ではない戦い」でした。

喜んで・・・

形式的には結婚した家康ですが、完全な「政略結婚」でした。

秀吉には逆らえんが、
臣下にはならぬ・・・

それでも臣従して「秀吉の家臣」にはならない家康。

秀吉の妹とは結婚するが、
それとこれ(臣従)は別・・・

業を煮やした秀吉。

家康め!

ついに痺れを切らした秀吉は更に、

我が母を妹に
会わせたい!

秀吉の母親が「妹に会わせる」名目で、やってきました。

つまり、自分の老齢の母親まで家康の人質に送ってきたのです。

妹だけでも重大であるのに、さらに母親まで人質に送ってきた秀吉。

・・・・・

ここまで秀吉に
させて・・・

これ以上、放っておいたら
秀吉は激怒するだろう・・・

・・・・・

徳川四天王:左上から時計回りに酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政 (Wikipedia)

ならば、
秀吉と再度戦うまで!

小牧・長久手では、
我が徳川が勝ったのだ!

殿!
もう一度、秀吉を懲らしめて見せましょう!

いやいや。

血気走る家臣団に対して、家康は自重を促します。

あの頃の秀吉と
今の秀吉は全然違う・・・

我が徳川に
勝ち目はない・・・

やむを、
やむを得ん・・・

こうして、秀吉の妹である朝日姫と結婚して、形式上「秀吉の義弟」となった家康でした。

そして、江戸に向かうことになったのです。

1590年ごろの江戸(新教育紀行)

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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